熱田神宮(元宮)・氷上姉子神社
創建年
- 不明
- 推定:200年代(仲哀天皇年間)※宮酢媛の館
- 690年(持統天皇4年)※氷上姉子神社
再建年
- 1461年(寛正2年)
- 1509年(永正6年)
- 1543年(天文12年)
- 1686年(貞享3年)
- 1893年(明治26年)
建築様式(造り)
- 入母屋造り
- 平入
- 正面唐破風向拝付き
※尾張造り
屋根の造り
- 銅葺
御祭神
- 宮簀媛命
社格
- 熱田神宮・境外摂社
発願者(作った人)
- 宮簀媛命
氷上姉子神社は熱田神宮境内にはない。(境外にある神社)
元宮・「氷上姉子神社」の読み方
- 氷上姉子神社(ひかみあねごじんじゃ)
氷上姉子神社の名前の由来(「氷上」の意味とは❓)
氷上姉子神社の「氷上」は創建当初は「火上」と呼称されていたようです。
「氷上姉子」とは❓
氷上姉子神社の「氷上姉子」とは熱田神宮に伝わる資料によると「宮簀媛」のことを指していると云われる。
地名の「火上」からも察するように、本来は「火上姉子神社」であったと言う説も伝わっており、神社の社格を定めた旧記・延喜式神名帳には「火上姉子神社」の社号の記載があるとされる。
しかしながら、尾張国内神名帳では「氷上姉子天神」記されており、「熱田七社」の一社と位置づけられていたことが明らかにされてい‥‥‥申す。ヒキュゥァっ(”氷上”の ”ひか‥み”ぐらいまでを表現) ..知らんわ
古代、この地は「火上の里」と呼ばれ、尾張氏の根拠地であり、同氏の根城であったと伝わっています。
「火上」が「氷上」に改められた経緯
当社は度々、社殿が火事に見舞われたため、1382年(永徳3年/室町時代)に「火」の字を廃して「火上」から→へと「氷上」と改称し、「火高」は→「大高」に改められたと伝わる。
現在は地元住民から「お氷上さま」などと親しみをもって呼ばれ、名古屋市緑区大高町の氏神様として篤い崇敬が寄せられています。
熱田神宮元宮・氷上姉子神社の歴史
これはあまり知られていませんが、・・なんと!かの草薙神剣が実はもともと別の場所で祭祀されていたと知ったら驚きましゅでしょうか?
その場所と言うのも熱田神宮から徒歩で約1時間40分ほど離れた、高速道路沿いの殺風景な場所に建つ神社であるとすれば、さらに驚かれますでしょうか?
当サイトですでにご案内の通り、熱田神宮は宮簀媛命によって創建されています。
しかし、一般的に熱田神宮の創建は日本武尊が伊勢国の能褒野(のぼの)で命を散らした後と知られていますが、実はもともと草薙の神剣はこの氷上姉子神社で祭祀されていたと云われております。
熱田神宮に伝わる伝記によると、日本武尊が遠征に赴く際に草薙の神剣を嫁ハンの宮簀媛命に預けたとされる場所が、尾張国愛智郡氷上邑にある宮簀媛命の父親である「火上の館(乎止与命の館)」であったとされています。
そしてこの火上の館の場所こそが、現在の氷上姉子神社が建つ場所だと云われております。
日本武尊は草薙神剣を帯刀せずに遠征に赴き帰らぬ人になりました。
日本武尊の悲報を知った宮簀媛は、しばらくは自らが住む乎止与命の館で草薙神剣を守っていたそうですが、年をとって身体が不自由になることを懸念して、祠(ほこら)を建てることなります。
そしてこの祠を「熱田社」と名づけて草薙神剣と日本武尊を祭祀します。
すなわち、これが熱田神宮の誕生であり、起源と言うことになり、つまりは熱田神宮が元あった「元宮」と言うことになります。
氷上姉子神社が「熱田神宮の元宮」でパワースポット?!
近年では氷上姉子神社が「熱田神宮の元宮」と言うことから、パワースポットしても知られるようになっています。
ちなみに氷上姉子神社は、明治初頭までは熱田社(熱田神宮)の摂社でしたが、1872年(明治5年)に郷社(ごうしゃ)の社格になり、その後、1880年(明治13年)に再び熱田神宮の摂社となっています。
1888年(明治21年)に境内が火事によって灰燼に帰し、1893年(明治26年)、当時の熱田神宮境内にあった別宮・八剣宮の社殿をそのまま移築して再建が成る。
なお、現在見ることのできる社殿は1986年(昭和61年)に再建(修営)された後の姿となる。
源静香‥ではなく源頼朝卿の父・源義朝も参詣した!
頼朝卿の父である源義朝が1160年(平治2年)に尾張へ赴いた際、途中でこの氷上姉子神社へ立ち寄り、太刀1振を献上したと記述もある。(義朝は1160年1月3日に郎党に謀殺されたと伝わるが‥‥)
氷上姉子神社の御朱印
氷上姉子神社にもオリジナルの御朱印があります。
中央に朱印が押印されているだけの質素な御朱印になります。
氷上姉子神社の御朱印の授与場所
- 境内・社務所
氷上姉子神社の御朱印の料金
- 300円
氷上姉子神社の境内にある「末社」一覧
氷上姉子神社の境内には以下のような「末社(まっしゃ)」が4社あります。
元宮
- 御祭神:宮簀媛命
神明社
- 御祭神:天照大御神
玉根社(たまねしゃ)
- 御祭神:少彦名命
朝苧社(あさおしゃ/境外の社)
- 御祭神:火上老婆靈(氷上の地主神)
氷上姉子神社の例祭
- 太々神楽(3月最終日曜日 )
江戸中期に熱田神宮において奉奏が始まった神楽(かぐら)を奉奏する行事です。 - 頭人祭(5月6日)
熱田神宮から高位の神職が派遣されて参拝し絵馬などを奉納する行事です。 - 大高斎田御田植祭(6月第4日曜日)
- 大高斎田抜穂祭(9月28日)
秋祭り(大高祭)(10月第1日曜日)
氷上姉子神社の数ある祭典の中でもひときわ大きな例祭です。
「お氷上さんの例祭」とも呼ばれる。
市内の所定の各地区から花車(山車のようなもの)が出されて市内を巡幸します。
また、境内には露店(屋台)の出店がある。
2022年(令和4年)例
- 10月2日(日)午後2:30
※行列は新型コロナウイルス感染症対策により中止。
氷上姉子神社と寝覚の里
日本武尊が東征の際に宿泊し、打ち寄せる波の音で目が覚めたと言われる「寝覚の里(ねざめのさと)」と呼称される場所があります。
寝覚の里の詳しい場所は「寝覚の里公園」と言う公園の中に石碑が建っており、この石碑の場所がかつて日本武尊が宿泊したとされる場所、もしくは宮簀媛命と新婚♡のお熱ぅ〜ぃひと時を過ごした館が建っていた場所になります。
当初、この地よりやや東の田んぼの中に塚が築かれていたようですが、伊勢湾台風にて破壊され現在の碑は昭和55年に当時の熱田神宮の角田忠行宮司この場所に再建したもののようです。
碑文(石碑の裏面に刻まれている文)
大高の里わぶなるこの寝覚めの地名は千八百年の昔、倭武天皇の火上の行在所に坐し時、朝な朝なに海潮の波音に、寝覚し給ひし方なる故にかくは云ひくを子に其事この石面に書付てよど里人の請はるゝまゝにかくなむ
明治四十三年 熱田神宮宮司 正五位勲六等 角田忠行 大高学区 大高歴史の会
※倭武天皇=日本武尊のこと
なお、寝覚の里は氷上姉子神社から少し距離が離れており、徒歩で約15分ほどの場所になります。↓地図
氷上姉子神社から寝覚の里(公園)への行き方は、西側(高速道路とは逆)の方向へ歩いて行くことになります。
熱田神宮から氷上姉子神社へのアクセス(行き方)
熱田神宮から氷上姉子神社へは電車とバスを利用すると40分圏内でアクセスすることができます。
↓
徒歩約8分
↓
JR熱田駅
東海道本線・豊橋行き(岐阜行き)へ乗車
↓
JR大高駅
↓
徒歩19分
↓
熱田神宮氷上姉子神社
- 電車(JR)運賃:210円
- 所要時間:約35分
もしくはJR大高駅からバス(名古屋市営バス)へ乗車することもできます。
藤田保健衛生大学病院行き(現・藤田医科大学)へ乗車
↓3駅・5分
「折戸バス停」下車
↓(バス運賃210円)
徒歩約6分
↓
熱田神宮氷上姉子神社
- 運賃:420円
- 所要時間:約36分
駐車場
10台ほどスペースあり
氷上姉子神社のINFO
住所:愛知県名古屋市緑区大高町字火上山1-3
営業時間:24時間可能(授与所は午前7時頃より日没頃まで)
定休日:なし(年中無休)
URL:http://www.atsutajingu.or.jp/jingu/about/yukari/hikamianego_jinja.html
そのほか御朱印がいただける熱田神宮の飛び地にある神社
関連記事:熱田神宮・高座結御子神社
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