白鳥庭園の歴史と誕生秘話をご紹介!

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白鳥庭園は熱田神宮から徒歩約15分圏内に位置する庭園です。

堀川沿いに位置する庭園であることや近くに七里の渡しがあることから、あまり知られていない歴史があります。

以下ではこの白鳥庭園の歴史についてご紹介しています。

白鳥庭園の前身は「白鳥貯木場」!

白鳥庭園がある場所には、かつて、名古屋城築城のための材木置場「白鳥貯木場(しろとりちょぼくじょう)」がありました。

白鳥貯木場は江戸時代初期に名古屋の木材取引の中心地として開かれ、その後約400年間に渡って利用された、国内最大・最古の木材市場でした。

造営者は戦国武将として名高い「福島正則」と伝えられ、名古屋城造営に際しての木材を一旦、保管しておく場所として、はたまた木材を輸送した船を格納しておく場所として造営されました。




江戸時代にはヒノキ材を保管する場所だった!

1615年(元和元年)、良質なヒノキ材が調達できる場所として、古来、その名前を轟かせていた「木曽(きそ)」が尾張藩に編入されます。これにより木曽山中で伐採されたヒノキ材は木曽川へ流されて、名古屋城近くの堀川や名古屋城下を経由し、その河口となる「七里の渡し」から日本全国へ輸送されました。

これにより、名古屋は材木を取り扱う職人やその関係者が多く居処するようになり、たちまち材木の町として繁栄を極めることになります。

江戸時代になると、さらに拡張工事が行われ、明治時代に入ってからも国(明治政府)の管理下に置かれますが、拡張が実施されています。

このような白鳥庭園におけるの拡張工事は、昭和初期まで繰り返し行われ、その結果、昭和初期には、なんとぉぅ!!16万平方メートルもの規模を誇ったようです。(東京ドーム約4個分に相当)

以降、白鳥貯木場が利用されなくなると、その敷地は現在の「白鳥公園(白鳥庭園)」や「名古屋国際会議場」として現存することになりますが、現在の白鳥庭園は、白鳥貯木場を埋め立てた地の一角に、1989年(平成元年)に名古屋市制100周年を記念し開催された「世界デザイン博覧会」のパビリオン「日本庭園」として造園されたものです。

この後、さらに整備されて1991年(平成3年)4月に一般公開が始められました。

名古屋の材木が生み出した「世界のトヨタ」

愛知県と言えば「名古屋」や「名古屋城」がまず、パッとド頭に浮かびますが、もう1つ世界的な有名企業がド頭に浮かんできませんか?

ここまで言えばもうお分かりかと思いますが、・・そうです。「トヨタ自動車」です。

トヨタ自動車を創業した豊田喜一郎は、父親である豊田佐吉(トヨタグループ創始者)が製作した「木製自動織り機」の原理をもとにしてエンジン開発をすることになりますが、実は名古屋には木材を取り扱う人々がたくさん居処したことから、そのうち木材を使用した「からくり人形」が作られるようになります。

「からくり人形」は「ぜんまいバネ」と「カム」の働きによって作動しますが、このような「からくり人形」を作る技術が機械技師を生み出し、それが現在のトヨタ自動車に受け継がれているといった事実はあまり知られていません。

白鳥庭園の見どころやアクセスについて

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