熱田神宮・三種の神器 草薙神剣って本物?現在、見れるの??「保管場所と一般公開」について

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熱田神宮・三種の神器 草薙神剣って本物?現在、見れるの??「保管場所と一般公開」について

すでにあなたもご承知の通り、熱田神宮には「三種の神器」が安置されています。

この三種の神器とは、「出雲の八尺瓊勾玉」「神宮の神鏡(八咫鏡)」そして「熱田神宮の天叢雲の御剣(草薙神剣)」になります。

これらの三種の神器は皇族に伝承される儀式的なものではなく、太古の日本における支配者を示す道具と位置づけられています。

以下では熱田神宮の三種の神器の1つである草薙神剣(草薙の剣/くさなぎのけん)の存在や真贋、一般公開について述べています。

まず、「三種の神器(さんしゅのじんぎ)」とは?

「三種の神器」とは、天照大御神が天孫降臨(てんそんこうりん)によって孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を地上世界へ降らせた際に持たせた3つの神器のことです。

天孫降臨とは、出雲大社に鎮座される地上世界の主「大国主大神(おおくにのぬしのおおかみ)」から、天照大御神が地上世界を譲り受け(国譲り)、後に自らの孫(甥)である「瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)」を地上へ降らせた出来事のことです。

その天孫降臨の時に天照大御神が瓊瓊杵尊に三種の神器を下賜されています。

三種の神器
  1. 八咫の鏡(やたのかがみ)
  2. 八坂瓊曲玉(八尺瓊勾玉/やさかにのまがた)
  3. 天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ/=草薙の剣/くさなぎのけん)

以降、瓊瓊杵尊の子孫は天皇となって皇位を継承していきますが、歴代の天皇は「賢所(かしこどころ)」という部屋に奉安しています。

現在の皇居はかつての江戸城になりますので「宮中三殿(きゅうちゅうさんでん)」うちの中央に賢所があります。

宮中三殿
  1. 賢所(かしこどころ)※中央
  2. 皇霊殿(こうれいでん)※西側
  3. 神殿(しんでん)※東側

また、三種の神器は支配者の証であるとともに、支配者を示す天皇の「皇位の証」ともなることから、皇位を譲る場合は必ず、次の天皇へ三種の神器が手渡されます。

八尺瓊勾玉

八尺瓊勾玉は「やさかにのまがたま」と読み、名前の通り形状は「勾玉(まがたま)」です。漢字では「八坂瓊曲玉」とも書かれます。

八尺瓊勾玉※画像はイメージです。(引用先:https://ja.wikipedia.org/)

一般的には数珠状に繋がれているイメージがもたれていますが、実際は子供のド頭くらいの大きさの勾玉とも云われています。

現在は皇居(江戸城)天皇陛下の寝室の脇に設けられている「剣璽の間(けんじのま)」に安置されています。

剣璽とは、昔の呼称の仕方であり、これは「天叢雲剣と八尺瓊勾玉」のことを指します。「剣」は「草薙の神剣」のこと。「璽」は八尺瓊勾玉のことです。

さらにこれに「間」が付くので『天叢雲剣と八尺瓊勾玉を安置しておくための部屋』と言う解釈になります。

八尺瓊勾玉の「八尺」とは「弥栄(益々の繁栄)の意があり、「瓊」とは素材のことを指し、これは赤色の瑪瑙(めのう)とも云われています。

八尺瓊勾玉を制作したのは「玉祖命(たまのおやのみこと)」と言う北九州を統治していた人物(後世では神)であり、別名で「櫛明玉神(くしあかるたまのかみ )」や「天明玉命(あめのはあかるたまのみこと )」とも呼称します。

出雲地方では「櫛明玉神」の名前で知られており、出雲に伝わる伝承によれば現在の島根県・玉造に位置する「玉作湯神社」で製作したと伝えられています。

※注釈※一説では新潟県・糸魚川で採れた純度の高い石(ヒスイ)を用いて出雲で製作したという伝承も残されています。

製作の際、勾玉を洗うためにこの神社から湧き出る水(湯)を使用したとの由来から、現在でもこの玉作湯神社は若い女性の間で特に人気のスポットとなっています。

八咫鏡

このラーのかが・・あイヤイヤイヤ「八咫鏡」!!は、あぶなかったギリセーフ神宮で祀られている神鏡であり、天照大御神の御霊がお宿りされる神鏡です。

神鏡※画像はイメージです。(引用先:https://ja.wikipedia.org/

八咫鏡の「咫(あた)」は太古の日本で用いられた長さの単位と云われており、8咫と言う長さになります。これは当時の時代で約150cmを示します。

ただし現在の御神体(神鏡)は直径約50cmほどだと云われており、食い違いがあるのですが、これは過去に内宮が火事で焼けた際に当初の150cm神鏡は焼けてしまい、新しく制作された神鏡が上記の50cmの神鏡であると言った説もあります。

記紀(日本書紀・乞食..ちゃぅ”古事記”!)によると、天照大御神が岩戸隠れの際に「石凝姥命(イシコリドメのミコト)」と言う人物(神)が制作しています。

ちなみに、天照大御神の御神体が何故に「神鏡」と言う鏡なのか?については、一説では大御神自身が「私を祀る時は鏡を代用として、鏡を私だと思って祀りなさい」と言われたからだとされています。

天照大御神により天皇と同じ御殿で祀るようにと命じられていたため、八咫鏡はもともと宮中の賢所に祀られていました。しかし、第10代崇神(すじん)天皇の治世になると、疫病が流行り多数の死者が急増したため、これを神の祟りと恐れた崇神天皇は、なんと!八咫鏡を宮中から出してしまうのです。

この八咫鏡が色々な場所を経て、最終的に祀られることになった場所が、現在の伊勢神宮(内宮)となる場所でした。

八咫鏡のニセモノが宮中にある!?

伊勢神宮の創建はもとより、それ以前から天照大御神の御霊がお宿りされる八咫鏡をお祀りし、お世話したのは「御杖代(みつえしろ)」と呼ばれた天皇の血縁の皇女から選出された「斎王(さいおう)」たちでした。

斎王は「南北朝時代(1336年(延元元年/建武3年)から1392年(元中9年/明徳3年/=室町時代)までの約56年間」で制度が廃止されていますが、実は現在でも斎王とまでは行きませんが、皇居の賢所(かしこどころ)では内掌典(ないしょうてん)と呼ばれる女性が神鏡のお世話(お祀り)をしています。

なお、ここで知らない方のために解説しますが、伊勢神宮・内宮でお祀りされている天照大御神の神霊がお宿りされる八咫鏡には、ぬぅあんとぉぅ!「形代(かたしろ)」と呼ばれる「複製(ニセモノ)の八咫鏡」が存在すると云われています。

つまり、八咫鏡は2つ存在することになり、「伊勢神宮・内宮」と、現在の皇居内の宮中三殿の中央部に位置する上述の「賢所(かしこどころ)」と呼称される場所に分かれて安置されているのです。

ただ、皇居の八咫鏡は、過去、宮中の内裏(だいり)からの失火によって、960年(天徳4年)、980年(天元3年)、1005年(寛弘2年)の3度に渡って火災に見舞われ、現在では神鏡としての形を留めていないとも云われます。

天叢雲の御剣(草薙神剣)

三種の神器の中でも言わずと知れた「武力を示す剣」です。

天皇の武力を象徴し、その形状から荒魂を示すとも云われます。

草薙神剣※画像はイメージです。(引用先:https://ja.wikipedia.org/)

もとはヤマタノオロチと言う山の荒神の身体にあったもので、天照大御神の弟のスサノオノミコトがオロチを退治した時に尾っぽから出てきたと云われる剣です。

退治した後にスサノオノミコトはこの剣を「天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)」と命名しています。

後に天照大御神の手に渡りますが、天孫降臨の際に孫であり甥の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)へ手渡されて以降は歴代の天皇の宮殿で安置されることになります。

天孫降臨とはザっくり言うと「天から孫を降臨させる」の意味になります。

上述したように「葦原の中つ国(日本)を統治する」と天照大御神が御発意なされて、孫の瓊瓊杵尊を代表とした神々を天界から下界(詳しくは九州の宮崎県と鹿児島県の県境の「高千穂峰」)へ差し向けたことです。(天孫降臨)

しかし、時代を経る過程で伊勢神宮を創建したことで知られる「斎宮・倭姫命(ヤマトヒメノミコト)」によって宮殿の外へ持ち出され、垂仁天皇時代に最終的に神宮を創建され、つまりは伊勢の地に遷されたことになります。

その後、斎宮・倭姫命は、景行天皇時代に倭姫命の甥(おい)にあたる日本武尊(やまとたけるのみこと)に天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)を授けています。

日本武尊から見れば叔母にあたる倭姫命が、甥..オイっ!の日本武尊へ授けた理由とは、武尊が日本各地へ遠征に赴くことを知ったからです。つまり『この神剣で身を守りなさい。』と言った叔母の愛情と言う解釈にもなります。

なお、この後、天叢雲剣は武尊によって「草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)」と命名されることになります。

ところで・・「草薙の剣」や「天叢雲剣」は誰が名づけたの?由来は??

草薙神剣の「草薙」とは、日本武尊が敵の放った火に囲まれた際、剣で火を薙ぎ払って鎮火し、自らの身を救った剣と言うことで「草薙」と命名されています。

「天叢雲」と言う名前はスサノオノミコトがオロチを討った際、「オロチの頭上には常に黒い雨雲があった」と言うことに由来しています。

草薙の剣は他にも別称があり『日本書記』では「草薙剣」、『古事記』では「草那芸之大刀」「草那芸剣」とも書かれます。


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日本武尊の最後と草薙神剣

日本武尊は「景行天皇の皇子」であり、日本でも伝説の英雄として広く知られています。

兄の両腕をもぎとってしまうくらいの怪力の持ち主であり、2mを超える大男であったと伝わっています。

その荒ぶった性格を父親の景行天皇に恐れられ疎まれ、日本各地の平定に差し向けられます。つまり、地方へと遠ざけられたわけです。

平定に向かった武尊は、自慢の怪力や勇気をもって次々と各地を平定し成功をおさめます。

しかし、現在の滋賀県の平定の際に相手から毒をもらってしまい、これが原因で伊勢国・能褒野(のぼの)で命を散らすことになります。

ただ、不思議なことに、なんと!この遠征の際、日本武尊は草薙神剣を帯刀しておらず、つまりは嫁ハンであった宮簀媛(ミヤズヒメ)に預けたまま遠征に出ていたのです。

武尊が草薙の剣を帯刀せずに、宮簀媛に預けたまま遠征に向かった理由の1つとしては、自らの命と等しいくらい大切な「神の剣」を、敢えて「愛しのラブリー(宮簀媛のこと)」に手渡すことによって安心させたのではないか?・・とも考えられています。

つまり、「必ず生きて、私の分身でもある神の剣を取りにラブリーのもとへ帰るからウフ。どうかその時まで預かっていてくれチュッ

・・こホんっ!・・とまぁ、このような具合です。次第です。ハイ。

それでその後、武尊の悲報を知らされた宮簀媛は、嘆き悲しみながら自らが暮らしていた愛知県氷上に、かつて存在した「火上の館」に祠(ほこら)を造って、草薙神剣と日本武尊の御霊を祀るのです

現在ではこの「火上の館」に造った祠は神社となって「氷上姉子神社ひかみあねごじんじゃ/熱田神宮・元宮」と呼ばれ親しまれています。

草薙神剣の歴史

飛鳥時代

宮簀媛が日本武尊を祭祀してしばらく経た飛鳥時代の時のことです。

天智天皇年間に草薙神剣は、668年(天智7年)に道行と言う僧侶に強奪されることになり、その後、賊は朝廷によって捕縛され、その流れで再び朝廷で保管されることになります。

しかし、なんと!朝廷に安置した直後に時の天皇「天智天皇」が病気にかかってしまい、急ぎ祈祷や占術(占い)が執り行われました。

そして占術によって出た結果として「これは草薙神剣を動かした祟りである」と告げられ、再び熱田神宮に遷されて安置されることになるのです。

平安時代

さらに時代は流れ、平安時代。平氏が権力を握ったこの時代、やがて平家に反旗をひるがえす勢力が増加し、その代表となった勢力が源氏です。

やがて平氏は、日本武尊のライバル的存在となる伝説的英雄「源義経」率いる源氏の勢力に連戦するも敗北を喫し、平氏の総大将・平清盛が擁立した幼い安徳天皇と建礼門院(清盛の子)は入水自殺をはかります。

その際、三種の神器を手に携えて壇ノ浦の海へ入水し、草薙の御剣を含めた三種の神器もろとも海の底へ沈んでいます。

しかし、草薙神剣以外の神器は後に源頼朝の命令によって地元に漁師が引き上げたとされています。

つまり、この説が真実とするのであれば草薙の神剣は海の底に沈んだままと言うことになります。

えぇっ?!三種の神器には「偽物」が存在していた?!

実は三種の神器には「形代(かたしろ)」という複製品も出回ったと言う話もあります。

上述の安徳天皇が手に携えていた剣が「形代」であったと伝えられており、つまりはオリジナルは熱田神宮でずっと安置されていたとう言うことになります。ホっ

ただ、実際のところ、現在も草薙の剣(天叢雲剣)の剣の形代は存在し、なんと!皇居の宮中三殿の「剣璽の間」にて奉安されています。

鎌倉時代

鎌倉時代初期には、今度は草薙神剣が盗難されることになります。

しかし、盗難された夜、不思議なほどのタイミングで暴風雨が巻き起こり、盗んだ犯人は船を出すことが出来ずに捕縛され、無事、剣も熱田神宮に戻っています。

以降、現在に至るまで日本では幾多の動乱や争いがありましたが、草薙の剣は熱田神宮を出ることなく静かに熱田神宮で眠り続けています。

ところで・・草薙神剣の一般公開はされる?

ここまでの話の中でやはり、草薙の神剣の実物を見てみたい衝動にかられた方も多いことでしょう。

しかし残念ながら御神体のため、一般公開は一切、されておりません。

三種の神器は天皇さえも見ることができないといわれ、さらには歴代天皇の勅封の紙が御神体を入れた箱に貼り付けられているため、神職すら見ることが叶わないと言われています。

幕末の国学者「栗田寛(くりたひろし)」氏著の「玉籤集」や「神器考証」という書物の中の「神剣の現状」によれば、江戸時代に熱田神宮の宮司たちが、「草薙の神剣を覗きみた」という以下のような逸話が残されています。

宮司が神剣が入った御箱に近づくと、突如、目の前に雲霧がわき上がって何も見えなくなり、急ぎ扇であおぎ、隠し火で部屋を覗くと、5尺ほどの木箱があった。

木箱の中には石箱があり、木箱と石箱の隙間は「赤土」で埋められていた。

石箱の中には「くりぬかれたクスノキの丸木」が納められていて、石箱との隙間はやはり赤土で埋められていた。

丸木の内側には「黄金」が敷かれていて、その上に御神体が鎮座していた。

御神体の長さは2尺7か8寸(約80cm)。

刃先は「菖蒲の葉(アヤメのは)」に似ている。中程はゆるやかに弧を描いたような形状をしていて、フっくらとした厚みがある。

手元の持ち手の方には「6寸(約18㎝)ばかりの魚の背骨のような節」がある。色は全体的に白い。

終わりに・・

現在の三種の神器がある場所(2つある?無し??)

現在の三種の神器の状況として、2つあるなし、もしくは、どこにあるのか?などをまとめておきます。

八尺瓊勾玉

  • この世に存在する公式的な数:1つ
  • ある場所:皇居の宮中三殿「賢所」本物
草薙の剣(天叢雲剣)

  • この世に存在する公式的な数:2つ
  • ある場所:皇居の宮中三殿「剣璽の間」(形代)、熱田神宮本宮本物
八咫の鏡

  • この世に存在する公式的な数:2つ
  • ある場所:皇居の宮中三殿「剣璽の間」(形代)、伊勢神宮内宮本物

天照大御神が熱田大神だとされる理由

草薙の剣は意志を持ち「持ち主を選ぶ剣である」と言われています。

つまり、自らが鎮座する土地が気に入らなければ、それを知らせるために神の力で災いを巻き起こすということです。

ここで1つ理解しておかなければならないのが、日本武尊が所持していたと言うことは、ある意味、武尊は草薙の神剣に選ばれし者と言う見方もできます。

草薙の神剣に選ばれていなければ、おそらくあっけなく命を散らしていたでしょう。

現在では草薙の神剣に宿りし熱田大神とは天照大御神のことだとされています。

しかしこれはどう考えてもストレートに頷ける(うなづける)話ではなく、熱田大神が本当は日本武尊であると思われて仕方ありません。

ただし、一説では「日本武尊とは実在しない人物である」とも言われており、これが事実であれば熱田大神が天照大御神と位置づけられる説も納得ができます。

また、上述したように草薙の神剣には、波乱に満ちた過去があり、実際、本当に当初の物が現存しているのかが気になるところです。

しかし現在においては、過去の真実など誰も知る由もなく、謎に包まれたままと言うことになります。

このように草薙神剣は謎に包まれており、実際に剣が本当に熱田神宮の殿舎の中に実在するのかさえ、疑わしくなります。

しかし、剣は実際になくとも熱田神宮には神々が鎮座されているのは確かです。

現に熱田神宮には古来、多くの人々からの「信仰」と言う「崇敬の念」が集積されています。

これほどの信仰を集めたお社であれば、その御神力も大きいものとなり、真摯にお祈りすればきっと祈願成就の後押しをしてくださることでしょう。

このように謎に包まれ、剣の実在さえ明らかにされていない。

だからこそ過去へのロマンを熱く、アチっ思い浮かべながら熱田へ詣でる。

これも熱田神宮の大きな魅力と言えるのではないでしょうか。

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