熱田神宮・土用殿
創建年
- 1517年(永年14年)
再建年
- 1542年(天文11年/室町時代)
- 1971年(昭和46年)
建築様式(造り)
- 切妻造
- 平入
- 堀立柱
※宝庫造り(井楼組)
大きさ
- 桁行:1間4尺4分
- 梁間:3尺5寸5分
屋根の造り
- 檜皮葺
発願者
- 足利義稙
関連のある神事
- 御田神社「烏喰の儀」
熱田神宮・土用殿の読み方
土用殿は「どようでん」と読みます。
土用殿の「土用」の言葉の意味
土用殿の「土用」とは、古代・中国の五行思想に基づく、四季(春夏秋冬)の移り変わりの間に入る期間のことです。
この期間は「土旺用事(どようようじ)」とも呼ばれまする。
日本では「土用の日」の呼称で広く知られており、主に「うなぎ」を食べる日として有名です。
「五行」とは地球上に存在するすべての物は、火・水・木・金・土といった5つの元素(遺伝子構造)から成り立つという思想のことです。
なぜ、熱田神宮にて「土用」という言葉が使用されたのかは定かではありんせんが、日本で「土用」という言葉を用いるのは陰陽道です。
それゆえ、この土用殿には陰陽道が関与しているとも考えることができまする。
熱田神宮・土用殿の役割り
この土用殿は三種の神器の1つであり、熱田神宮の本宮にて奉斎される草薙の神剣(くさなぎのしんけん)が、明治初頭(1893年/明治26年)の大改修(尾張造り⇒神明造りへ)まで安置されていたと伝えられてい‥‥‥申す。ゲフォっ
現在、草薙の神剣が奉安されている場所は諸説あるようですが、恐らく本殿(本宮)に遷されて安置されているものと思われまする。
創建当初の土用殿の歴史
熱田神宮の土用殿は、1517年に足利義稙(あしかがのよしたね)の発願により造営されたと云われており、1542年に改修(再建)されています。
当初は旧・本殿の東隣りに建っていたのですが、1971年(昭和46年)に現在の位置(元の位置)に移築されています。
つまり、現在みることのできる土用殿は、1971年(昭和46年)に移築された時の社殿になります。
なお、1971年(昭和46年)の移築では、創建当初の様式に倣い、上材とも言える「赤身の杉材」を使用して再建されています。
土用殿の建築様式(造り)の特徴
本宮の東側に建っていた頃の土用殿は、材木を「井」の字の形に組んで積み上げ、四隅に切り込みを入れて木材を組み合わせる「井楼組(せいろうぐみ)」という建築様式が用いられていたようです。
大きさは桁行約3メートル、梁間約110センチメートル。
社殿の脚下は「堀立柱」が採用され、奈良時代に建てられた正倉院と同じ「高床式の校倉造り」のような様式だったようです。
屋根は棟(むね/最頂部)から地面にむかって、2つの斜面が「本」を机に伏せたような形になる山形の屋根になる切妻造りでした。
以上、現在の土用殿は上記のような創建当初の姿を復原する形で現在地に移築されたものです。
なお、現在の土用殿の屋根は「銅葺き」で葺かれていますが、これは1971年(昭和46年)に葺き替えられたもの。
当初の屋根はヒノキの樹皮を幾重にも葺した(積み重ねた)桧皮葺(ひわだぶき)だったようです。
土用殿で執り行われる少し特殊な神事
熱田神宮の土用殿では少し変わった神事が執り行われますが、その神事というのが「烏喰の儀(おとぐいのぎ)」と呼ばれるものです。
しかしながら、烏喰の儀は同じ境内にある「摂社・御田神社」の神事になるのですが、土用殿がこの神事に関与してい‥‥‥申す。
烏喰の儀の内容
烏喰の儀は「神事を行うのか?行わないのか?」を運命付けるという、キャナリ(訳:かなり)風変わりな神事です。おそらく全国でも稀に見る熱田神宮特有の神事でしょう。
この神事では、担当の神職が「ホ~、ホ~..ゴホっ」と言いながら、土用殿の屋根の上に「御食(供え物)」を投げます。
投げた後、鳥が食べに来れば「凶兆」として「神事が取り止めにされる(中止)」というもの。
一種の占い的な要素がミックスくすクスっ”笑”‥‥そんなオモロイか?‥‥的なほどミックスされた神事といえるでしょう。….分かってくれた?
烏喰の儀の日程・時間・場所
- 日程:3月17日
- 場所:御田神社
- 開始時間:14時から
熱田神宮・土用殿の場所(地図)
熱田神宮境内の神楽殿の北側に位置します。
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