まず目が行かない!意外な「名古屋城の見どころ」

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まず目が行かない!意外な「名古屋城の見どころ」

名古屋城の境内は広大であり見どころは多数、存在しますが、以下では、普通に名古屋城を見学しているだけでは、”まず目が行かない!”意外な見どころを”12つ!”ご紹介しています。

名古屋城へ訪れた際は是非!ご参考にしてみてください。ウフ

名古屋城のコロナ感染拡大防止対策

○ 次 に 該 当 す る 方 の ご 来 場 を お 断 り し ま す 。

・ 新 型 コ ロ ナ ウ イ ル ス 感 染 症 に 感 染 し て い る 方 、 お よ び 感 染 者 と 接 触 が あ って か ら 14 日 間 経 過 し て い な い 方
・ 発 熱 ( 37.5 度 以 上 ま た は 平 熱 比 1 度 超 過 ) や 咳 、 く し ゃ み 、 鼻 水 な ど 風 邪の 症 状 が あ る 方 、 体 調 の す ぐ れ な い 方
・ 入 管 法 に 基 づ く 入 国 制 限 の 対 象 と な っ て い る 地 域 か ら 日 本 へ の 入 国 後 14 日間 経 過 し て い な い 方
・ 新 型 コ ロ ナ ウ イ ル ス 感 染 症 予 防 対 策 の 基 本 的 対 処 方 針 に よ る 特 定 警 戒 都 道府 県 に お 住 ま い の 方

【その1】名古屋城の掘には「鹿」がいる??

%e5%90%8d%e5%8f%a4%e5%b1%8b%e5%9f%8e%e9%b9%bf画像引用先:https://ja.wikipedia.org/

名古屋城に来て驚いた方も多いと思われますが、ぬぅあんと!名古屋城の掘には「鹿」が生息しています。

もちろん、本物の鹿が生息しており、実はこれは市の管理の下、飼われている鹿になります。

江戸時代には余興として名古屋城内で鹿が飼われており、行き交う女性に大人気だったそうです。

現在では建物などを破損させるなどのイタズラが多いことから掘で飼育されています。

当時では50余頭もいたそうですが現在では2頭のみになっています。

【その2】えぇっっ?!名古屋城には「ホタル」も生息している??

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その場所とはかつての名古屋城の三の丸、現在の城外、外堀沿いの「護国神社」や「本町橋」の周辺にヒメボタル言う種類のホタルが古来から自然のままの姿で生息しています。

⬆️三の丸から本町橋周辺の地図
⬆️本町橋(交差点)の景色

ご存知の通り、名古屋城は名古屋の中心地に位置しており、日本を代表する都市の中心でもあります。

そんな名古屋の中心にホタルが生息しているなどとは夢にも思わないハズです。

ちなみに通常我々がホタルとして認知しているのは「源氏ボタル」や「平家ボタル」ですが名古屋城のホタルは「ヒメボタル」と言う種類のホタルです。

ヒメボタルは源氏ボタルや平家ボタルとは違って水辺には生息せず、陸上で生息できるホタルです。

大きさは源氏ボタルや平家ボタルよりもひときわ小さいサイズになります。

名古屋城・外掘のホタルの見頃時期は「例年5月中旬から6月中旬頃」で、「ピークとなる見頃は5月末から6月上旬」です。

名古屋城・外掘のホタルを見学したい方は是非!上記期間の夕方17時頃に訪れてみてください。夏の夜空を舞う美しい君の笑顔のようなホタルが見れるかもしれません。

【その3】名古屋城の石垣のビール瓶の謎

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一説には、ビール瓶を隙間に挿し込むことで石垣と石垣の間の空洞を埋めることができ、崩壊を抑えているのだとか。

しかし何故にビール瓶?

【その4】清正石

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  • 高さ:約2.5m
  • 横幅:約6m

名古屋城の石垣には「清正石(きよまさいし)」と呼称される石垣があります。

この石垣は他の石垣とは石のサイズが段違いで違っており、巨大な隕石のような石です。

清正石の名称の由来は、名古屋城の石垣造りを担当した加藤清正の名前に因んだものとなりますが、実際、この清正石がある場所の工事を担当したのは「黒田長政」と云われております。

つまり実際には「長政石」であってもオカシクはない言ったことになりますが、名古屋城は石垣全般の工事を加藤清正に一任されていましたので、それで清正の名前が付されたものだと考えられます。

【その5】榧の木

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正門をくぐってスグの所にある木でなんと!樹齢約600年とも云われており、そんな由緒を持つことから国指定の天然記念物に指定されています。

初代名古屋城の主である徳川義直が大阪の陣へ出陣する際、勝利を祈願してこの榧の木に成った実を口にしたと云われます。

【その6】石樋(いしどい)

名古屋城の石垣をよく見ると何やら飛び出たものが見えます。
この物体、実は城を維持する上でかなり重要な役目を担っているものですが、なんかのかご存知ですか?
これ、「石樋(いしどい)」と呼ばれるもので城内に溜まった水などを排水するための装置です。
飛び出している理由が分かりますかぃ?
なんでも石垣を伝って水をそのまま垂れ流すと石垣を形成している地盤にゆるみが生じ、崩壊するからなんだとか。これを「石垣が孕む(はらむ)」という言い方もします。
たかが石垣。されど城の土台。城を建てた後も維持していくことの些細な気苦労という名の工夫が垣間見える場所です。
通常、石樋地上より3〜5mくらいの位置に付けられているものなので視認はしづらいのですが、名古屋城の石樋は間近で見ることができまする。…マジか?(”間近”だけに)

【その7】雨樋(あまどい)


本丸北側・御深井丸の東側から本丸大天守を見ると何やら水色の紐ようなものが、千鳥破風から天守台へ向けて垂れています。
実はこれ銅板で覆われた雨樋です。
驚くのはこの雨樋、近世代に設置されたものではなく、8代藩主・宗勝の御代である1752年(宝暦2年)に実施された「宝暦の大改修」の時に付けられたものです。
現在の名古屋城は以前の名古屋城を忠実に再現して復原されていることから、雨樋もそれに倣い取り付けられたのでしょう。復原して再造された証拠ともなり得る貴重なものです。


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【その8】名古屋城「城内きしめん亭」

実は名古屋城の境内には、ぬぅあんと!「きしめん」の店が出店しており、いつでも「きしメぇ~ん!」を味わうことができます。
城内きしめん亭の場所は、東門と正門から二の丸へ入り、双方の入口の中間地点になります。

尚、店を実際に運営しているのは「きしめん専門店」ではなく、名古屋城(名古屋市)になります。

名古屋城に訪れたら是非、お腹をペぇコペぅぇコにして「きしめん亭」へ訪れてみてください。

 オススメはお城セット:1250円です。

その他、名古屋城にはもう2店舗、食事する施設があります。

名古屋城きしめん亭のお問い合わせ先

住所:愛知県名古屋市中区本丸1-1 名古屋城内
TEL:052-211-4509(予約可)
営業時間:10:00~16:00
定休日:不定休
URL:http://www.nagoyajo.city.nagoya.jp/

【その9】剣塀

「剣塀」は「つるぎべい」と読み、これは忍者(忍び)封じのための施策の1つです。

忍者は石垣をいとも容易くかけ登り、殿ぉっ!が眠る寝所を目指して暗殺を仕掛けます。

そこで特に狙われやすい天守閣と小天守閣とを連絡する”橋台(きょうだい/橋のたもと辺りの橋を支える部材)”の西側壁面や、不明門北側壁面の軒桁(のきげた/屋根と横壁が交わる隙間部分)に約30㎝の剣先ように鋭く尖った、「頑丈な槍の矛先」を設置してそれ以上、敵が上に登れないようにしています。

【その10】アリゲーターガー

「アリゲーターガー」とは、環境省に「特定外来生物」に指定されている大型の肉食魚です。

名古屋城には、ぬっ、ぬっ、ぬぅわぁんとぉぅっ!この大型肉食魚が2匹もいることが明らかにされています。

名古屋城のお堀にアリゲーターガーが生息している理由

しかしいったい、なぜアリゲーターガーが名古屋城のお堀に生息しているのでしょうか?

これには次のような理由があったからです。

近年では熱帯魚ブームにより外来魚を飼育する個人が増加しましたが、外来魚の中には年を経るにつれて水槽で飼育できないくらいの大きさになるものも多数います。

水槽で飼育できなくなった外来魚たちはどうなるのか?

そうです。どこかの池やドブ川、そして名古屋城のような”城のお堀”に逃がしてしまう不届き者が出没するという結果に至っています。

そこで環境省および地元の人たちはこの巨大肉食外来魚の捕獲のためにグループを結成して捕獲作戦に乗り出すことになります。

ちなみにこの名古屋城でも地元の人たちが捕獲作戦に乗り出したのですが、巨大な図体のわりになかなか素早しっこく、危機察知能力が高いのか、なかなか捕獲されなかったようです‥‥‥が!なんとぉぅ!ついにそのアリゲーターガーが2017年5月に捕獲されたというニュースがありました。

が!しかし、名古屋城のアリゲーターガーは2匹います。つまり、もう1匹まだお堀にいるわけです‥。

名古屋城へ訪れた際は是非!このアリゲーターぐぅぁ~!!オるるるラぁぁ!!ガルルルルっ!・・を探してみてください。

・・。

・・・。

アリゲーターガーを捕獲しなければならない理由

上述したようにアリゲーターガーは肉食魚ですので、もともとそこにいた生態系を破壊してしまい早急に捕獲しなければ、やがて生態系の連鎖が止まってしまいます。

日本の魚の大きさは小さく、日本の環境で行く抜けるように古来、その姿を留めています。

そこへ本来、日本にいなかった外来魚が棲みついてしまうと、当然、日本の小さな魚たちは捕食されてしまいます。

ちなみにこのアリゲーターガーですが、2017年11月にその他16種の外来魚と共に輸入および飼育が禁止されています。

すなわち、これ以上、増えることは”まず無い”といえますのでどうかご安心下さい。

【その11】名古屋城の御朱印がもらえる??

なんと!名古屋城でも御朱印をいただくことができます。ただし、正式には「登城記念府」や「城郭符」と呼ぶようです。

  • 名古屋城の御朱印の値段:300円

天守閣が立ち入り禁止になるまでは天守閣7階の売店でもらえたようですが、現在は工事中のため次の場所でもらうことができます。

  • 正門付近の売店
名古屋城正門付近の売店の場所(地図)

  • 売店の営業時間:9時から17時30分
  • 売店の電話番号:052-231-1655
  • 定休日:名古屋城の営業日に準ずる

ちなみにこのような御城の御朱印はココ、名古屋城だけではなく、日本全国の有名な城に行くともらえるようです。

  • 例:二条城、松本城、大阪城、彦根城 …etc

【その12】石垣にヘンテコな模様が刻まれている??(石垣の刻名)

この名古屋城の石垣造りには多数の大名が参加しており、その中でも豊臣方の大名が特に多く、約20の大名が参加しています。

それぞれに大名は役割分担としてそれぞれの担当する場所を決められ、その際、自身が運び入れた石であることが分かるように石に団子や扇子、軍配の絵柄を刻んでいます。

たとえば‥‥

刻名:「田中筑後守」(忠政)(筑後国柳河藩主)

  • 場所:本丸御殿
刻名:「加藤肥後守(清正)」(肥後熊本藩主)

  •  場所:本丸天守台(隅石)
刻名:「3つ串団子の形」

  • 普請者:前田肥前守(利長)」(加賀藩主)
  • 場所:正門付近、本丸

このように石垣に名前を刻んだ理由は大名間のトラブルを回避するためなんだとか。泥棒が入って盗まれたこともあったとのこと。

石垣を是非!ジックリとご覧になってみてください。

【その13】加藤清正の石曳きの像

加藤清正は名古屋城の天守台の石垣を築いたおり、作業員を先導し、指揮を上げ、工期が短期間で済むように自らが石垣に使用する石の上に乗って音頭を取っていた姿を再現した像です。

石を曳く際は、修羅(しゅら)と呼ばれる木の棒を敷き、その上に巨大な石を乗せて多人数で曳いたのです。

ちなみに清正さんの像は名古屋城正門の方にももう1つあり、こちらの像は熊本城に置かれている像とソックリくりくりコノヤローなほどソックリな像になりまする。どゆ意味や

熊本城・御幸橋南詰にある清正さんの像↓


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【その14】シャチホコ(鯱鉾)

知ってましたか?

名古屋城のシャチホコにはオスとメスがいることを。

なぎゃやジョーでは、北がオス。南がメス。と説明されていますので‥‥‥左が雄。右が雌‥ということになりまする。

⬆️オス(左)

⬆️メス(右)

ちなみにこの金のシャチホコは江戸時代に造営された当初も純金のシャチホコが据えられていました。後世ではこの金のシャチホコを伝説の大泥棒と称される「柿木金助」が大凧に乗って金の鱗(うろこ)を掻っ攫う(かっさらう)といった話まで出回ったほど想像を絶するほど美しかったようです。

この話は後に歌舞伎の演目にもなったことから一気に有名になり、現在に至っても至る場所で語り継がれています。

メスのシャチホコは明治時代に海外の博覧会に出陳され、これを機に様々な場所へ出陳されることになりまするが、金鯱は名古屋城にあってこその金鯱‥‥‥ということで名古屋城に戻されたのですが‥‥その結果、不運にも大空襲に見舞われ、焼失するという結果に至っています。

よって、現在のシャチホコは江戸時代のシャチホコを忠実に再現して作られたものです。うきゃきゃ

金のシャチホコを近くで観れる場所

この金のシャチホコは名古屋城正門のあたりなどでレプリカが展示されています。レプリカですが、サイズ感やディティールを知ることができまする。ぜひ!

名古屋城「本丸御殿・天守閣・二の丸・西の丸・御深井丸」

せっかく名古屋城に訪れた限りは、トコトンまで名古屋城の魅力を味わい尽くしてくださいっ!

しかし残念ながら名古屋城には見どころがありすぎて、すべて見て回るのに半日は要します。

以下では本丸御殿、天守閣(大天守・小天守)、二の丸・西の丸、御深井丸に分けて名古屋城の見どころをご紹介しています。

本丸御殿の見どころ

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本丸御殿とは藩主の生活空間や政務を執り行う場所であり、天守閣の内側にあるものではありません。(天守閣の付近の別の建物です)

名古屋城の本丸御殿は、1615年(慶長20年)に徳川家康公の命令によって創建された絢爛豪華な建造物群です。総面積3,100㎡(四辺約100m、約900坪)の中に13棟もの建物が建てられており、これらの建物を総称して「本丸御殿」と呼称されます。

1634年(寛永11年/江戸時代)に差し掛かると、将軍が都などの遠方へ赴く際に使用する「将軍専用の間」として造り替えが行われ、上洛殿や御湯殿書院などの増築が行われています。

名古屋城本丸御殿内部地図

1930年(昭和5年)には、世界遺産「二条城(京都)」と並ぶほどの近世代における城郭御殿と讃えられ、念願の国宝指定を受けるまでになりましたが、残念なことに1945年(昭和20年)5月14日に太平洋戦争の空襲(名古屋大空襲)で全焼してしまいます。

現在の名古屋城は、創建当初の威容を忠実に再現するために、わざわざ江戸時代の古図面や明治時代の写真をもとにして、2009年(平成21年)1月から10年構想の復元工事が開始されています。そして2013年(平成25年)5月には「玄関」と「書院」、次いで2016年(平成28年)6月には「対面の間」が完成を迎えて、順々に公開されています。

そして、2018年(平成30年)6月8日には、なんとおぅ!ついに最後の最終第4コーナーを回って府中の直線に差し掛り、上洛殿、湯殿書院、黒木書院、上御膳所が次々に完成を迎えて、ごぼう抜きをカマしながら、無事に8馬身差での1着ゴールを決めています。(訳:無事に一般公開されています。)ふぅ、意味不明

欄間の透かし彫りは誰の作品?

名古屋城の本丸御殿内の建物に入ったら、ちょっと天井付近を見てみてください。天井の真下あたりの壁(欄間/らんま)に極彩色の見事な鳥獣などの透かし彫りの彫刻が飾られていませんか?

これは同じ徳川つながりでもあり、家康公のお墓があるとされる栃木県の日光東照宮内の殿舎群でも見ることができるような類似した彫刻です。

それもそのハズなんです。

なんと!名古屋城の透かし彫りの彫刻は、日光東照宮の透かし彫りの下絵を担当したとされる「狩野探幽(かのうたんゆう)」の一族でもある「狩野派」が創作したものだからです。

すなわち、この透かし彫りの技法や色彩に至るまで、創建当初のものを細部にまでコダわって復原されていることになります。

玄関

玄関は本丸御殿の入口となる場所です。

「一の間」と「二の間」から構成が成っており、これらの間の最大の見どころは「金の絵図」になります。

一の間には江戸時代に名を馳せた絵師・狩野派による意匠「竹林豹虎図(ちくりんひょうこず)」が描かれています。

眩いばかりの金色の襖(ふすま)に、まるで絵から飛び出してきそうなリアルな虎と豹が描かれています。これは客人を驚かせるための趣向であり工夫なんだそうです。

そんなことから別名で「虎の間」とも呼称されています。

また玄関スペースには車寄(くるまよせ)もあって、将軍や大名などが車寄せから昇殿したことが想像できます。なお、この玄関から約6mの長さの大廊下を通って、奥の部屋へと行くことができます。

二の間

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二の間には一の間と同様に狩野派による絵図が描かれています。

部屋の壁面などを造る際に飛び出た釘材は「釘隠し」と呼称され、金で作られた六角形の物で覆われています。

ちなみのこの釘隠しには本物の金が使用されています。パクりたい気持ちをおさえて、是非、ジックリとご覧ください。

表書院

表書院は殿~っ!(訳:藩主)・・に謁見にきた者が対面したり政務と執り行うための間です。

表書院の構成は一の間、二の間、三の間、溜の間、納戸の間と上段の間から成っており、本丸御殿の中でもっとも広大な面積を誇ります。

表書院にも金の襖に絵図が描かれており、松の木や桜といった四季を司る絵や花鳥などが描かれています。

上段の間

%e4%b8%8a%e6%ae%b5%e3%81%ae%e9%96%93他の間よりも一段上がった間です。

名古屋城でもっとも格式が高いとされる間であり、殿ぉぉぉっおぉ!(訳:藩主)・・が座する間です。

上段の間の襖絵は松の木が描かれており、これは松の木が真冬でも枯れないことに縁起の良さを重ね合わせた意味合いになります。

また上段の間の天井は書院式の折上格子天井となっており、贅を尽くした造りになっています。

三の間

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上段の間以外の間で見どころとなるのが「三の間」です。

三の間には日本の絵図は初夏をテーマをした襖絵が一面に描かれています。

中でも特に珍しいのは外国の「麝香猫(じゃこうねこ)」と呼称される猫やその他、数匹の外国の動物が描かれています。

外国の動物が描かれている理由としては、当時では誰も見たことがない異国の動物を描くことによって、徳川家と徳川幕府の威厳(見識や威光)を示していると云われています。

ちなみ三の間の襖絵は「初夏」をテーマとしており、なんと!39畳もの広さがあります。

対面の間(対面所)

%e5%af%be%e9%9d%a2%e3%81%ae%e9%96%93ここは2016年(平成28年)6月1日より公開されている間です。

殿ぅぉぅぉぅぉ~っ!・・(訳:藩主)の身内や親戚、親しい間柄の者との宴席の場所です。

対面の間からは破風(はふ)の軒下に据えられた巨大な懸魚「三花懸魚(みつばなけぎょ)」の裏側を見ることができます。

また、対面の間にも襖絵が存在し、名古屋城下の民の暮らしぶりや名古屋の行事が描かれた襖絵が描かれています。必見です!

風俗画

対面所の4つある部屋のうち、上段之間には京都、次之間には和歌山を舞台にした人々の様子を描いた風俗画が描かれています。たとえば京都であれば愛宕山や上賀茂神社、和歌山であれば紀三井寺が描かれています。

上洛殿(お成御殿)

上洛殿は2018年(平成30年)6月8日に復元工事を終えて、無事に一般公開されています。上洛殿は上御膳所、黒木書院、御湯殿書院で構成されています。

名古屋城本丸御殿の見どころについては下記ページをご参照ください。ウフ


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天守閣(大天守・小天守)の見どころ

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現在見ることのできる天守閣は1959年(昭和34年)に再建された時のものです。

天守閣は地下1階2重3階の小天守閣と地下1階5重7階の大天守閣から構成されており、これらの小と大の天守閣が繋がっていることから「連結式天守閣」とも呼称されています。

大天守閣の内部は展示コーナーとなっており、名古屋城に伝わる様々な展示品を見ることができます。

尚、名古屋城の天守閣は老朽化のため補強工事が急務であり、2018年5月7日より入場禁止にすると名古屋市が正式発表しています。

再公開の期間は未定ですが、名古屋市は2022年までに木造天守の復原工事を目指しています。入場禁止にする理由は土台であり足場となる石垣の調査をまず行うようです。

しかし公開を中止するのはあくまでも天守閣のみであって、天守閣以外は観覧可能ですのでご安心を。オホ

天守閣の入場禁止 概要

期間:平成30年5月7日(月)から木造天守閣竣工まで
区域:名古屋城天守閣(小天守閣・大天守閣)

【あまり知られていない!】竹中工務店と名古屋城の深い縁

竹中工務店が現在、名古屋城の再建工事を担当していますが、実は竹中工務店という会社の始まり(起源)はこの名古屋だったという事実をご存知でしたか?(現在の竹中工務店の本社は大阪)

実は名古屋城が造営される際に竹中工務店の初代社長となる「竹中藤兵衛」が発足させたのが、この竹中工務店だったのです。

このような背景があって竹中工務店に依頼したのかは定かではありんせんが、にしても再び名古屋城を工事を幾世紀も経た現代に至ってその子孫が担当しているワケです。

名古屋城と竹中工務店とは本当に不思議な縁で結ばれていたのです。

大天守閣・6階&7階(最上層)

展望台

大天守閣の7階部分には望遠鏡が設置されており、いわゆる展望台のフロアになっています。

7階からは名古屋中の景色が一望できます。

南西の方向は名古屋の中心のターミナル駅・名駅がありますので名駅付近の壮大な高層ビル群を見ることができます。

一方、逆となる南東の方向では名古屋市役所愛知県庁の建物が見れます。

大天守閣・5階

金鯱の模型に乗って記念写真撮影

大天守閣の5階のフロアは名古屋城の歴史を知ることができるフロアです。

創建当初の名古屋城築城の際の石垣の石引きなどの工事の様子を体験することもできます。

また実物大の金鯱の模型が置いてあり、ぬぅあんと!この模型の金鯱に跨って(またがって)記念写真を撮影することもできます。

このフロアは身体を使って体感することができるフロアと言えます。

大天守閣・4階

カゴ乗り体験

大天守閣の4階は甲冑、鎧兜、鉄砲など武器などが展示されているフロアになります。

全般的に名古屋城に伝わる宝物品や所蔵品が展示されています。

そして4階の最大の見どころとなるのが「駕籠(かご)乗り体験」ができると言うところです。

カゴ乗り体験と言っても江戸時代当時のカゴが展示されており、それに座ることができると言ったことになります。

しかし鎧を見ていると兜の下の目ん玉の位置あたりがキラっと光って今にも動き出しそうです。

夜には絶対に来たくないスポットと言えます。ギャ~鎧に着られるぅぅ

大天守閣・3階

江戸時代の城下町と生活風景

名古屋城の3階部分はこれまた名古屋城の粋な部分が表現された階と言えます。

それもそのハズ!ぬぅあんと!江戸時代の城下町が造られているから驚きです。

さらにセットも細かく演出されており、5分ごとに朝・昼・夜と照明の照度が変化します。

また江戸時代の食卓の食事の模型も造られており細部にコダわった意匠を見ることができます。

大天守閣の3階は江戸時代の城内の暮らしや城下町の暮らしを知ることができるフロアと言えます。

大天守閣・2階

特別展示室

大天守閣の2階部分は特別展示室になっています。

従って普段は立ち入ることができないフロアになります。

大天守閣・1階

天守閣・本丸御殿・城下街のジオラマ模型

大天守閣の1階は天守閣をはじめ本丸御殿や城郭の模型、城下街の模型がジオラマ式で展示されています。

その他にも本丸御殿の襖絵などの絵図のレプリカが展示されています。

模型は真っ二つに割れて内部が覗けるようになっていますので、内部の建築様式(造り)の細部までを目の当たりにすることができます。

大天守閣・地下階

「実物大の金鯱」と「黄金水の井戸」の模型

地下階にも実物大の金鯱の模型があります。

この金鯱は展示されていますので乗ることは叶いませんが、オリジナルを細部まで凝らして模造されていますので、まさに屋根上のオリジナルそのものと言えます。

その他、かつて名古屋城の地下に存在したと云われる「黄金水の井戸」の復元した模型が展示されています。

黄金水の井戸とは、非常時用のための井戸として地下に造られていたもので、一説では金を使用して井戸が造られてたとされる由来から「黄金水の井戸」と言う呼称が付されていました。

しかし1959年(昭和34年)の再建時に調査が行われ、実際はただの石が敷き詰められた井戸であることが判明しています。

現在では残念ながら調査後、再び埋め戻されて現在見学することは叶いません。

石垣(天守)

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  • 高さ20m

名古屋城の石垣は上述の加藤清正が担当している言うだけあって美しい曲線美をしています。

それもそのハズです。加藤清正と言えば熊本城の築城で有名ですが、同じく築城の名人と知られていた藤堂高虎と双璧と云われたほどの築城名人です。

名古屋城の天守の足元の石垣は「扇勾配(おうぎこうばい)」と言う積石法で造営されており、これほど美しい曲線美を持つ石垣をわずか3ヶ月で完成させたと云われています。

尚、この石垣は形状が三日月のように美しい曲線を持つことから、別名で「清正流・三日月石垣」とも呼ばれています。

西の丸の見どころ

表ニの門【重要文化財】

創建年

1612年(慶長17年)

建築様式(造り)

高麗門

屋根の造り

本瓦葺

重要文化財指定年月日

1930年12月11日

「表二の門」は「おもてにのもん」と読み、この門は西の丸から入った敵の進軍を防ぐための門です。

表二の門は第二次世界大戦の東海大空襲をの戦火の難から逃れることができた門であり、つまりは創建当初の姿を留めていることから、国の重要文化財指定を受けています。

表二の門はある意味、本丸への最後の砦となる門であるため、他の門とは違い頑丈で強固な造りをしています。

例えば、門全体の造りは「高麗門(こうらいもん)」となっており、これは鏡柱2本と内部の控柱2本の合計4脚から構成が成る門です。

他の門と異なる点は、左右の控え柱上にそれぞれ小さい切妻屋根が乗っています。

また門の正面となる鏡柱の上にも切妻屋根が乗っていることから、合計で屋根が3つある門になります。

門正面部分となる鏡柱や冠木(かぶらぎ/横の柱)には鉄板が張りめぐらされており、その強度が伺えます。

そして実はこの表ニの門でもっともな見どころとなる場所があります。その場所とは「門の両脇の土壁の小穴」です。

この小穴は「狭間(さま)」と呼称される穴で昔はこの穴から鉄砲の筒先を通して敵を狙撃していたそうです。

御深井丸の見どころ

名古屋城「西北隅櫓・西南隅櫓・東南隅櫓」【重要文化財】

創建年

1612年(慶長17年)※江戸時代

建築様式(造り)

二重三階

屋根の造り

本瓦葺

重要文化財指定年月日

1930年(昭和5年)12月11日

隅櫓とは「すみやぐら」と読みます。

名古屋城の本丸には東北を除いた西北、西南、東南の3つの隅(すみ)に櫓(やぐら)が現存しています。

中でも西北隅櫓、西南隅櫓・東南隅櫓の櫓は重要文化財の指定を受けています。

櫓の起源は「物見のための高台」であり、時代を経る中で壁面が造営されて敵を迎撃するための出城になっています。

江戸時代では櫓の壁面に小穴を開けて、そこから鉄砲の筒先を出して敵を迎撃できるようになっています。

また「二十四方位」に因んだ名称が付されることもあります。ちなみに二十四方位とは、「北東微東」などと言ったさらに細かい方位のことを指します。

昔は「十二支(えと)」を用いて方位が定められており、例えば「辰巳櫓(たつみやぐら)」は、二十四方位盤の位置で示すと南東の方角になります。


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二の丸の見どころ

名古屋城「二之丸大手二之門・旧二之丸東二之門」【重要文化財】

創建年

1612年(慶長17年)※江戸時代

建築様式(造り)

高麗門

屋根の造り

本瓦葺

重要文化財指定年月日

1975年(昭和50年)6月23日

同じく戦災を逃れた門になり、創建当初の姿を留めていることから国の重要文化財の指定を受けている門です。

名古屋城の本丸、本丸御殿は石垣を残して焼け落ちましたが、皮肉にも本丸や本丸御殿を取り囲む周囲のいくつかの建造物はかろうじて戦火の難を逃れています。

搦め手馬出し

上述、東二の門の前には「搦め手馬出し」という敵を効率よく撃退するための防御壁が備えられています。

名古屋城が造営された当初、徳川幕府による徳川家主導による政権がほぼ樹立されていましたが、豊臣家が大阪に存在し、豊臣恩顧の武将が跋扈していたのも事実です。

そんなこともあり、名古屋城は抜かりなく防御力も兼ね添えた城郭を想定して造営されることになります。

その特徴的な城郭を構成する要素の1つに「搦め手馬出し」があります。家康は名古屋城造営に着手した際、搦め手馬出しを本丸に据えるように指示しています。

「搦め手馬出し」とは、門戸の前の「コの字型の壁」のことです。

画像提供先:名古屋市科学館

門の前に壁(石垣)を設けることで騎馬隊による正面突破や鉄砲隊による切り崩しを防ぐことができます。また壁をコの字型にすることで壁の内部にも兵員を配置することが可能となり、門に攻めかかった敵に対して、門の守備兵と挟撃することもできます。

また万が一、搦め手が攻め取られても敵が侵入してきた際、敵を分断させることが可能となり、さらに門を閉じることで狭間(さま)から鉄砲や弓矢などで敵を狙撃して士気を削ぎ落とし、切り崩しを図ることもできます。

本丸搦め手馬出し・概要(大きさ・長さなど)

  • 高さ:約12.5m(空堀部)~ 14.2m(水 堀部)
  • 南北:約94.3m
  • 東西:約51.8m

そして面白いことになんと!この搦め手馬出しの造営費用は、豊臣恩顧と思われる武将たちの普請(ふしん)によって実現されているのです。

普請担当大名

  • 北面:西から浅野 幸長(紀伊)、黒田長政(筑前福岡)、田中忠政(筑 後柳川)
  • 東面:北から田中忠政、黒田長政、山内 忠義(土佐)、蜂須賀至鎮(阿波徳島)、生駒正俊(讃岐高松)
  • 南面:生駒正俊、鍋島勝茂(肥前佐賀)

家康公がズル賢い「タヌキ」と呼ばれた理由が分かる一面ですが、豊臣恩顧の武将たちに、あえて費用を捻出させることで豊臣家の力を削いだというワケです。

名勝「二の丸・庭園」【史跡名勝天然記念物】

造営年

  • 1615年から1624年(元和年間)
再建年

  • 1716年から1736年(享保年間)
史跡名勝天然記念物指定年月日

  • 1953年3月31日

二之丸御殿が元和年間に造営された折に築庭された庭園です。幾度か再建が行われ、最終的には「枯山水回遊式庭園」となっています。

枯山水回遊式庭園の「枯山水」とは「かれさんすい」と読み、実際に水が無いと言う意味を持ち、これはつまり水を砂や玉砂利で表現すると言った解釈になります。

その水を表現した玉砂利や砂の上に石を置いて島を作り、さらにその島の周りに波紋状の線を入れるなどして水と島を表現した庭園となります。

⬆️見事な石組が見える

南池

文政年間に整備された二の丸御庭の姿を描いた御城御庭絵図(おしろおにわえず)によれば、庭園の東南部を大きな池が占めている様子が描かれていまする。

池には船が浮かび北岸には大きな舟形の一枚岩が張り出し、中央に石を組んだ中島が描かれています。

1976年(昭和51年)に実施された発掘調査では、池の遺構の一部が確認されています。池の石組の石は多くが抜き取られ、形状はよく残っており、大きく深い池であったことが明らかにされていまする。

二の丸庭園「茶亭」

二の丸には茶亭が設けられており、中ではお茶菓子と抹茶をいただくことができまする。

メニュー一覧
  • 金箔抹茶(日替わりお菓子付き):650円
  • 抹茶(日替わりお菓子付き):540円
  • みつ豆:380円
  • グリーンティー(お菓子付き):400円
  • オレンジジュース(お菓子付き):400円
  • 抹茶のみ:270円
  • お菓子のみ:270円

お外にも席が設けられており、名古屋城内の息吹を感じ取りながら茶菓子と抹茶を楽しむこともできまする。

なお、この二の丸茶亭では、毎週金曜日になると「金の茶釜」でお茶が点てられています。

埋門跡

埋門(うずみもん)とは、城郭の石垣または土塀の下をくぐる門ということで「埋門」という名前が付されていまする。

この埋門跡は二の丸庭園の西北の位置にあり、城が危急の場合、城主はこの門より脱出をして逃げ落ちるということが決められていたのです。

この門をくぐれば垂直の石段があり、これを降り堀を渡り、対岸の御深井丸の庭から土居下を通って大曽根勝川、定光寺を経て、木曽路に落ち行くことが極秘の脱出経路としてされていたのです。うきゃ

正門

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創建年(移築)

  • 1910年(明治43年)
再建年

  • 1959年(昭和34年)

旧・江戸城に設置されていた「蓮池御門(はすいけごもん)」になります。

1910年(明治43年)に江戸城から移築されていますが、惜しく儚くも東海大空襲によって天守もろとも焼失しています。

現在の正門は1959年(昭和34年)に再建されています。

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