熱田神宮・一之御前神社
創建年
- 不明
再建年
- 1955年(昭和30年)
建築様式(造り)
- 切妻造
- 平入
- 掘立柱
※神明造り
材質
- ヒノキ
屋根の造り
- 銅葺
千木の形
- 内削ぎ
鰹木の数
- 6本
御祭神
- 熱田大神荒魂(伝:天照大神荒魂)
社格
- 熱田神宮・摂社
熱田神宮・一之御前神社の読み方
一之御前神社は「いちのみさきじんじゃ」と読みます。
一之御前神社の別称
熱田神宮に伝わる「熱田大神宮御鎮座次第本紀」によれば「一神前(いちのみさき)」、「熱田本社末社神体尊命記集説」によれば「一御崎(いちのみさき)」とも記されている。
「一之御前」の名前の由来
「一之御前」を分解すれば「一之」と、「御前」に分けることができまする。
「御前」とは、神仏・貴人が座する場所の前など意味合いがあり、「一之(いちの)」とは「この一」と読み解けることから、「本宮に次ぐ尊い社=”一之”」とも解釈できる。
まとめると「本宮(御神体)の前に鎮座する本宮に次ぐ尊い社」となる‥‥‥が、境内における社格の順位では別宮の八剣宮が本宮の次だとされているが‥‥はてさて。
「熱田大神宮神体伝聞書」によれば、「かつて本宮(本殿)の御神体(草薙神剣)は当宮に仮宮として奉斎されていた」などの一文が確認されることから、だとすれば同様に神剣が奉安されていた八剣宮と表面的な位置づけは同位とみれる。
ウィキによれば倭姫命世記に「魂」を「美佐岐(みさき)」と訓読みして「一ノ魂(いちのみさき)」とした説が掲載されているが、これについては本項との関係性が些か疑問視される。
熱田神宮・一之御前神社の御祭神「熱田大神の荒魂」
一之御前神社の御祭神は、本宮に祀られている神剣・草薙の太刀に宿る熱田大神(天照大御神)の荒魂(あらみたま)をお祀りしています。
荒魂とは荒々しい勇猛な神の姿を表現する魂のことです。その逆の発想となるのが、神様の穏やかな姿が和魂。
例えば、天地事変を起こして病の流行を招いたり、人々の心を荒ませて争いへと導く働きをする神様の姿だと云われる。
ちなみに和魂の方は境内の「徹社(とおすのやしろ)」にて奉斎されている。
祭神が大伴武日命で可能性もある
尾張志によれば、かつての当社の神をヤマトタケルの副将軍である大伴武日命(おおとものたけひのみこと)とし、もう1人の副将軍を務めた吉備武彦命(きびたけひこのみこと)が祀られる龍神社とし、本宮の御神体を左右で護っていると記している。
このことは当社と龍神社の位置が本宮を間に挟み込むように建っているのもそのためだとしている。
確かに龍神社の祭神は吉備武彦命とされているが、だとすれば、尾張志では本宮に奉斎される御神体をヤマトタケルだと認めていることになるが‥‥はてさて。
なお、学術的な見解ではヤマトタケルは実在しない人物とされる。
一之御前神社の意義
伊勢神宮内宮の「荒祭宮」、伊勢神宮外宮の「多賀宮」も同様に天照大御神の荒御魂をお祀りした社です。
一之御前神社もこれに倣い、天照大御神の荒御魂をお祀りしているとのことです。
一之御前神社の歴史と秘密
この一之御前神社は境内の奥、杜(森林)に覆われた場所に建ち、往時のこの場所は参拝者が立ち入る事のできない禁足地でした。
それゆえ、一般参拝者はその存在すら知らないのが通例でしたが、2012年12月より、熱田神宮・祭祀1900年を記念し、一般の参拝者もこの場所に入場できるようになってい‥‥‥申す。ギャホェっ
なお、当神社が現在地に鎮座したのは1893年(明治26年)ことであり、この当時、熱田神宮境内の社殿の様式が、従来の「尾張造り」から→「神明造り」へ改造されています。
それ以前の鎮座地は現在地とはまったく異なり、本宮を向かい見て南東の地に鎮座していたと記録されています。
江戸時代以前は境内「龍神社」と合祀されていた?!
熱田神宮に伝わる1686年(貞享3年)6月5日に熱田神宮大宮司宛に書き留められた「口上書」の記述によれば、江戸時代以前は境内の「龍神社」と相殿という形で合祀されていたことが明らかにされています。
この口上書が大宮司に認められて以来、一之御前神社と龍神社は分けられて、境内にそれぞれ社が築かれて奉斎されているとされる。
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尾張旭市稲葉町にも一之御前神社の子社がある?
尾張旭市の矢田川に架橋される宮下橋の北側に「一之御前神社」があり、同市によれば、この一之御前神社は熱田神宮境内の一之御前神社から神霊を分けた分神だとされている。
一之御前神社の参拝時の注意事項
当神社の前には写真やビデオ撮影、携帯使用、喫煙や飲食物、ペットの立ち入りなどを禁じる注意書き看板がありまする。要注意!
熱田神宮・一之御前神社の場所(地図)
本宮を向かい見て左脇の「こころの小径」と呼ばれる道を北上した先。熱田神宮内でも最奥の神聖な場所に鎮座している。