熱田神宮・下知我麻神社

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熱田神宮・下知我麻神社

熱田神宮・下知我麻神社
創建年

  • 不明
  • 推定:1362年(正平17年)
再建年

  • 1692年(元緑5年)
  • 1955年(昭和30年)
建築様式(造り)

  • 切妻造
  • 平入
  • 堀立柱

※神明造

屋根の造り

  • 銅葺き
材質

  • ヒノキ
千木の形状

  • 内削ぎ
鰹木の数

  • 4本
御祭神

  • 真敷刀俾命
社格

  • 熱田神宮・境内「摂社」
ご利益

  • 旅行安全

熱田神宮・下知我麻神社の読み方

下知我麻神社は「しもちかまじんじゃ」と読みます。

下知我麻神社の別名

当社は古くから「紀太夫社(きたゆう)」もしくは、「紀大夫社(きたゆうしゃ)」と呼ばれてい‥‥‥申す。ガギャっ

上知我麻神社は「源太夫社」と呼ばれることから2つの神社には深い関係があります。

なお、平安末期に編纂されたとされる「尾張国内神名帳(おわりのこくないじんみょうちょう)」の熱田神宮の項には「千竈上」「千竈下」の文字が見えることから、往時は現在のような痴漢では‥‥おっと、「知我麻」!!ではなく、「千竈」の字が充てられていたことになり申す。


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「知我麻」の名前の由来

知我麻(ちかま)は名古屋市南区北部の地名にある「千竈(ちかま)」から由来がきているとされており、これはつまり下知我麻神社が、往時は千竈にあったことを仄めかしていることになる。

千竈にはかつて製塩するための「竈」が、たくさんあった場所であり、その様相を「千の竈」と表し、それが地名の由来になったと推察できる。

下知我麻神社の歴史

当社は927年(延喜5年/平安時代)に編纂された「延喜式神名帳」の尾張国愛智郡の項に「愛智郡 下知我麻神社」の記述が見えるほどの歴史を有する古社である。

1844年(天保15年)に編纂された「尾張志」の記述によれば次のような記述があり申す。

「上知我麻神社 星ノ宮(現在の名古屋市南区の星宮社)の北方にあり 乎止與ノ命を祭る」

「下知我麻神社 上知我麻神社と同所にあり 伊奈突智ノ老翁眞敷刀咩ノ命を祭る 二社は星の宮より以前に当地に鎮座する」

「伊奈突智ノ老翁眞敷刀咩ノ命の神名の由来とは 当地の地主神にて塩竈を作って海潮を焼き、塩つくる事を人々に教えるの意」

「上・下知我麻の二社の号は延喜神名式にも記され 今は熱田なる源太夫ノ神(現在の上下知我麻神社) もしくは 紀大夫ノ神(現在の下知我麻神社)という」

上・下知我麻神社はかつて星宮社の境内にあった!

上記、尾張志の記述によればかつて、下知我麻神社は名古屋市南区の星宮社の境内にあり、「伊奈突智老翁(いなつち おきな)」という神を奉斎していたことになり申す。

すなわち、この星宮社が現在、熱田神宮境内に建つ、下知我麻神社および上知我麻神社の元宮という解釈になりまする。

平安中期(931年〜938年)に編纂された和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)によれば、上・下知我麻神社は愛智郡千竃郷の星崎七村にうそれぞれ異なる場所に分かれて鎮座していたことを記している。

延喜式の注釈書として著名な「特選神名牒(とくせんしんみょうちょう)」でも、尾張志と同様の見解を記し、上下の名称は「千竃郷」の元宮たる地名を表したものとしている。

なお、星宮社には現在でも本宮の裏手の山の頂に上知我麻神社と下知我麻神社の2社が鎮座しており、一対にて建稲種命と宮簀媛命の親神二柱を奉斎しています。

この事実は江戸後期から明治初期にかけて成立した「尾張名所図会」にも描かれており、「イナツチ ヲキナノ社」なる名称が見える。

以降は時代を下りながら、上知我麻神社が「市場町(現在の熱田区神宮町)」へ、下知我麻神社が旗屋町(熱田区の南東部)へ遷座したとの記述がある

その後、紆余曲折を経て遷座し、現在地に鎮まった(落ち着いた)ことになる。

平将門調伏の祈祷も執り行われた

平将門調伏の折、成功祈願の祈祷のために星宮社へ熱田社(熱田神宮)の神輿が渡御した旨の記述があることから、これは上知我麻神社ならびに下知我麻神社が当時から熱田社・本宮と境外摂社のような深い関係性があったことをほのめかしてい‥‥‥申す。ゲフォっ

熱田神宮・下知我麻神社の御祭神「真敷刀俾命」

祭神として旅行の安全をお守りする「真敷刀俾命(ましきとべのみこと)」という神様をお祀りしています。

真敷刀俾命は、上知我麻神社の祭神である尾張国造の「乎止與命(おとよのみこと)」の妻で、日本武尊と結婚した宮簀媛命の母にあたります。

また、尾張地方の豪族である「尾張大印岐(おわりのおおいみき)」の娘とされてい‥‥‥申す。ダヒャっ

即ち、上知我麻神社・下知我麻神社は対になった夫婦の神様がそれぞれ祀られているということになります。

名前からして何か関係があるような気はしていましたが、まさか夫婦神だったとは驚きです。

【補足】「刀俾」の名前の由来

ちなみに「刀俾(とべ)」とは、ヤマト王権が成立以前は首長の称号(姓/カバネ=氏名のこと)とされており、事実、かつて尾張国愛智郡には戸部村という村落があり、「マシキトベ」や「シリツナマワカトベ」という名称との関係がうかがえる。


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下知我麻神社に古くから伝わる風習

なんでも熱田神宮境内の西門付近に建つ「菅原社」へ参拝した後、この下知我麻神社へ参拝して神前に転がっている石を拾って持ち帰り、願をかけると願いが叶うとか。

願いが叶ったら、拾った石の2倍の大きさの石を菅原社へ奉納すると願いが倍増するという。

関連記事: 熱田神宮・菅原社

下知我麻神社の旅行安全祈願の祈祷受付に関して

下知我麻神社は、熱田神宮の境内の西の北端に位置しながら、毎年旅行シーズンとなる長期休みの前などには、大勢の参拝客で賑わいます。

下知我麻神社での旅行安全のご祈祷などは、境内、本宮授与所にて受付がされます。

下知我麻神社は熱田神宮の宮域にありながら、敷地内からは行くことができない神社であり、さらに御垣内に社務所がありませんので、ご祈祷を受けたい場合は境内西門から入り、祈祷殿まで行く必要があります。

熱田神宮・下知我麻神社の場所(地図)

境内のちょうど南西角、地下鉄神宮西駅2番出口を出たスグの場所に鳥居が見え、鎮座しています。
西門を入らずに、境外からのみ直接参拝できます。(熱田神宮境内からは行くことができません)


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