名古屋・徳川園の歴史・見どころ(回り方)と「見学所要時間・館内マップ(地図)」

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名古屋・徳川園の歴史・見どころ(回り方)と「見学所要時間・館内マップ(地図)」

こちらのページでは、徳川園の歴史と、広い庭園の中でもここぞ!という見どころ、そして四季折々の自然について、ご紹介します。

徳川園の歴史

徳川園の誕生

徳川園は、愛知県の「大曽根(おおぞね)」と呼称される場所にあり、名古屋城から徒歩約50分ほどの場所に位置します。
徳川園が造営された理由とは、もともと第2代目尾張藩主・徳川光友が江戸城でのお勤めを終えて隠居後の生活をするための場所として1695年(元禄8年)に造営されています。

造営された後、光友公はこの世を去りますが、この時に自らに仕えた家老たち(成瀬、石河、渡邊)に土地の一部を与えて、家老たちは下屋敷を造営しています。
その後、家老たちの子孫が、自らの屋敷の土地を大恩ある徳川家に1889年(明治22年)に再び返還しています。
返還された土地には中央に広大な池を配した庭園が造営され「徳川園」と名付けられました。

徳川園の前身

その後、昭和6年には、なんと!徳川家が上述の家老たちの子孫から返還された土地を、今度は「名古屋市へ寄付したい」と申し出します。
この後、徳川園は名古屋市が所有することになり管理運営していくことになりますが、この時、徳川園の端の土地は残され、昭和10年に現在の「徳川美術館」と「蓬左文庫」が造営されることになります。

そして、しばらくは徳川家が「徳川美術館」と「蓬左文庫」を運営管理していましたが、蓬左文庫に収蔵されている書物の文化的価値が極めて高いことから「後世への完存」という面で今以上の管理が必要になることが懸念されました。
そこで、蓬左文庫をまるごと名古屋市へ譲渡し、現在は蓬左文庫のみ名古屋市が運営管理しています。
しかしその後、1945年(昭和20年)に名古屋市を襲った「名古屋大空襲」で名古屋市内の多くの建造物はことごとく焼失し、この時に徳川園も焼失していまします。
その後、焼失した徳川園の場所には、新たに「市民の憩いの場」として野球場、東図書館、結婚式場などが建設され「葵公園(あおいこうえん)」と名づけられています。

徳川園の復活!

上述の葵公園の造営からしばらく経った2005年(平成17年)に名古屋では世界中から注目される一大イベントが催行されることになります。
いったい、どんなイベントだかお分かりですか?
正解は・・「愛知万博」です!
万博とは正式名称を「国際博覧会(こくさいはくらんかい)」と呼称し、通称「万国博覧会(ばんこくはくらんかい)」とも呼ばれ、省称が「万博(ばんぱく)」になります。
万国博覧会は約半年間もの期間を要して自国を世界各国にアピールする博覧会になります。
期間中には様々なイベントが催され、世界各国から何千万という人々が会場となる名古屋に押し寄せます。
当然、世界から注目を集めることになりますので、自国をアピールするのには、またとない機会となります。
そこで出された提案(企画)こそが「徳川園の復活」です。

当初の徳川園の造営計画では、約13万坪もあった旧大曽根屋敷を当時の姿で再現する計画でした。
しかし、約13万坪もの広さに旧大曽根屋敷を再現するのでは、博覧会の開始までには到底、間に合わないことが分かり、その約10分の1となる約1万5000坪内に池泉回遊式の日本庭園を築庭する案でまとまります。
すなわち「徳川」という日本の大名文化を最大限にアピールしよう言う計画です。

ちなみに先に「13万坪」が登場してきて「15000坪」と聞けば、「なんぁだヨ、小っちぇ!..チッ!」・・などと言う、薄汚いセリフが頭によぎる愚か者もいると思われますが、いったいどれくらいの広さかお分かりになりますか?

その広さとは、なぁんとぉぅぉぅ!あの「東京ドーム1つ分」!!・・だと聞けば驚かれますでしょうか?オぅイぇ~

ところで・・「池泉回遊式日本庭園」とは?

池泉回遊式日本庭園」とは、「ちせんかいゆうしきていえん」と読み、これは池の周り小道を造り、池には橋をかけてこれらを回遊できるように整備した庭園のことです。

池を取り巻く環境は四季を表現し、四季に咲く花や樹木が植栽されています。
また、自然の成り立ちを表現するために小山や滝、川、そして海を表現した池が設置されます。
そしてもちろん、この徳川園にもこれらの「山」「滝」「川」「池(海)」造られています。
池の周りには高さ約11メートルの小山が造られ、その小山の頂(いただき)からは水が流れて滝となり、それが川となって、最後に「池という”海”」へ至ります。まさに自然の成り立ちが表現されています。

是非!ご覧になってください!

徳川園の見どころと園内マップ(地図)

徳川園の園内の広さは創建当初、約13万坪(約44ha)もあったと云われています。
ところでこの「約13万坪(約44ha)」の広さが、いったいどのくらいの広さなのか想像ができますか?

これを現代での分かりやすい例で例えてみますと・・ぬぅあんとぉぅ!「東京ドームが約7個分」!!もの大きさになります。..生唾ゴっクン 気管詰まらす。ムヘっ!

徳川園の園内マップ(地図)

徳川園には以下の2つ出入り口が存在します。

大曽根口

最寄駅:JR「大曽根駅」

黒門口

最寄駅:地下鉄「車道駅」

 徳川園の園内マップ(地図)のダウンロードはコチラから※引用先:徳川園

注意点としては、真隣に位置する「徳川美術館と蓬左文庫と徳川園はつながっていない」ということです。

すなわち1度、徳川園の園内を出てから徳川美術館(蓬左文庫)へ訪れることになります。

徳川園の見どころ

徳川園「黒門」【国指定建造物登録有形文化財】

創建年:1900年(明治33年)
建築様式(造り):切妻造、平入
屋根の造り:本瓦葺
大きさ(横幅):約11m
材質:ケヤキ材
登録有形文化財登録指定年月日:2014年10月7日

黒門(くろもん)は1900年(明治33年)に尾張徳川家の邸宅造営時に造られた入口の門です。
その名前の通り黒色の門であり、両脇には塀が張りめぐらされています。そして、その北側部分は立派な「脇長屋(わきながや)」と連絡しています。
門両脇の軸部にはひときわ図太い「ケヤキの木」の柱が据えられており、門にはすべてこのケヤキが使用されています。
門の造りは「薬医門(やくいもん)」であり、薬医門の大きな特徴としては、門の扉もしくは門の脇に「小扉」が設置されています。
例えば、夜中に急病にかかって死に直面しても、医者(薬医)が小扉を通って容易く中へ入れることから「薬医門」の名が付されています。

徳川園「脇長屋」【国指定建造物登録有形文化財】

画像引用先:文化庁

創建年:1900年(明治33年)
建築様式(造り):木造平屋建
屋根の造り:本瓦葺
大きさ(奥行):約20m
材質:ケヤキ材
登録有形文化財登録指定年月日:2014年10月7日

脇長屋は「わきながや」と読み、ここでは門番が補助的な見張りをしたり、中で待機したり時には寝床として使用していた場所です。
脇長屋の大きな特徴として、建築様式に「出格子窓(でこうしまど)※↑画像正面」が見受けられます。
このような出格子窓は江戸時代においては主に城郭や代官・役人屋敷などで多く見られた、いわゆる物見的な意味合いを持つ窓です。
この出格子窓を見るだけでも徳川園の前身が大名屋敷であった事実を伺い知ることができます。

1945年(昭和20年)に名古屋を襲った米軍による名古屋大空襲によって、徳川園の周辺は焼け野原になりましたが、この黒門と脇長屋は奇跡的に戦火から難を逃れています。

以上のような理由から明治初期の建築様式を留める、極めて貴重な遺構ということで2014年10月7日に国の建造物登録有形文化財の指定を受けています。

実は現在もこの脇長屋は「徳川園管理事務所として現役で使用されています。

龍仙湖

徳川園の最大の見どころの1つです。
池泉回遊式庭園をこの龍仙湖に用いています。
池泉回遊式庭園は上述で説明していますので詳細は割愛させていただきますが、池を中心として四季や自然の成り立ちを表現した庭園のことです。
池の中にも橋を架けて回遊できますので、池の中を泳ぐ魚(鯉)たちを見ることができます。ザリガニ チクワ デ ツリタイ

西湖堤

西湖堤とは「せいこつつみ」と読み、中国映画でも登場する有名な景色「中国杭州(こうしゅう)・西湖(せいこ)」の景色を模して造営された堤(堤防)です。
中国杭州・西湖は世界遺産にも登録されているほどの絶景の湖です。

↑中国・西湖

龍仙湖に架かる橋の上から西湖堤を見れば分かりますが、「堤」と「その向こう側に見える景色」の調和が絶景を生み出しています。


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瑞龍亭

織田信長公の十男坊「織田長益(おだながます)」、通称「織田有楽斎(おだうらくさい)」が好んだ様式を取り入れた数奇屋造りの茶室になります。
織田長益は父・信長の影響で、茶人として音に聞こえし「千利休(せんのりきゅう)」に弟子入りしています。
その後、文化人(数奇者)としての才能を開花させ、「利休十哲(りきゅうじゅってつ)」に数えられるほどなっています。
言い伝えによれば尾張徳川家の茶流は有楽斎を祖とする「有楽流」であることから、過去の通例に倣いこの茶室が造営されたようです。

龍門の滝

上述した徳川園の前身である「大曽根屋敷」を造営した尾張藩2代目の殿っ、徳川光友公は長い間、江戸住まいでした。
江戸の光友公の屋敷には日本庭園が築庭され、庭の隅には「龍門の滝(りゅうもんのたき)」と呼称される滝があったようです。
この滝があった場所は現在は「早稲田大学戸山キャンパス」が建っていますが、大学の工事の際、地中から龍門の滝に使用されていた岩や石が見つかったそうです。
このことに縁を感じた徳川園が龍門の滝に使用されていた「岩」や「石」を引き取って、現在の龍門の滝が造られています。
つまり、光友公の庭園にあった龍門の滝を再現して造営されたのがこの龍門の滝になります。
ちなみに、この滝、侮ってはいけませんぞぉ!・・なんとぉ!水量がドッ!と急激に増すときがあるそうな。
このように水が急激に増す仕掛けまでも、かつての光友公の屋敷の龍門の滝を再現したそうです。

水琴窟

水琴窟は「すいきんくつ」と読み、これは手水鉢の一種です。
水琴窟を造る際、まず、大きな甕(かめ/=壺)を引っくり返して地中に埋めます。
地中に甕を埋める時は甕の上部に小さな穴を開けて、その上には小石を敷き詰めます。
さらに甕の底には煉瓦(レンガ)や瓦板を敷き、敷き詰めた煉瓦や瓦板には穴を開けて、水を地中へ排出するようにします。

↑水琴窟の仕組みとカラクリ

このようにすることで手水鉢で手を洗い清めた時、もしくは手水鉢の水が溢れて下へ流れ落ちた時に、近くで耳を澄ますと、「裏返しで空洞となった甕」に水が落ちる音が何重にも反響します。まるでヨーロッパのオペラハウスにいるようです。

このような仕掛けを考案したのは栃木県・日光東照宮の造営の際、現場指揮を執ったとされる「小堀政一(こぼりまさかず)」通称「小堀遠州(こぼりえんしゅう)」であると伝えられています。
小堀遠州は、日本史上で最初に設置されたと云われる東照宮の手水舎に「サイフォン式」と呼ばれる地形の高低差を利用した「自動で水が流れ続ける手水鉢」を完成させています。(現在では見ることはできません)
このような水琴窟は日本全国の至る地域でお目にかけることができますが、徳川園の水琴窟は手水鉢に竹筒が用意されていますので、より良い形で反響音を聞くことができます。
是非!お試しあれ!

虎仙橋

虎仙橋」は「こせんきょう」と読み、総ヒノキ造りの橋です。
この橋が架かる場所というのが、ちょうど徳川園の中央付近になり、約5メートルほど下に龍泉湖へと流れる、「虎の尾」と呼称される川が流れています。
スローペースで流れる心地よい川のせせらぎを虎仙橋の上から聞くことができます。

虎の尾

上述の虎仙橋から川を見ると「虎の尾」のように見えることから、このネーミングが付されています。

四睡庵

四睡庵」は「しすいあん」と読み、徳川園の最大の見どころの1つである「大曽根の滝」の後方に建っている休憩所です。よく耳を澄ませば滝水の音が心地よくコダマして耳に入ってきます。とても癒されます。
尚、「四睡庵」の「四睡」とは、寒山(かんざん)・豊干(ぶかん)・拾得(じつとく)という名前の3人の仙人たちが「虎と一緒に寝ている様子」を表現したものです。
これは「凶暴な虎でさえも静めて平和に仲良く一緒に眠る」・・といった「1つの禅の境地」を具現化した情景だそうです。
この様子は徳川家康公が眠る「栃木県・日光東照宮」の陽明門の彫刻でも表現されています。

大曽根の瀧

大曽根の瀧(滝)は徳川園の最大の見どころの1つです。
この滝は徳川園のメインとなる滝で大量の水が勢いよく流れ出ている滝です。
高さは約6メートルもあります。
滝の水は龍泉湖の水をポンプで吸い上げて、それを積み上げた岩の上から大量に流しています。
つまり毎月の水道代の請求に心を痛める必要は一切なく、グルグルと水がループしていることになります。ぇぇのぉ~

徳川園の四季を彩る花たち

徳川園には様々な草花、樹木が植栽されており、これらは春夏秋冬いずれに季節に訪れても花が見れるように計画されて植えられています。
以下でご紹介する草花・樹木はほんの一例です。

画像引用先:徳川園

ボタン

現在の牡丹は品種改良が行われ、四季を通して至る場所で観ることができます。
後述していますが、徳川園には「牡丹園」があるほど、多くの種類の牡丹を観ることができます。

春の季語にも登場する有名な樹木と言えば「桜」です。
徳川園でも桜を観ることができます。
徳川園で多く見られる桜は「しだれ桜」になります。

例年、春になると大勢の観光客が桜を観にこぞって徳川園へ訪れます。

  • 徳川園の桜の開花時期:3月下旬
  • 桜の見頃時期:4月初旬

ハナショウブ(花菖蒲)

ジめっとしてクソ夏い、暑に咲き乱れるのがハナショウブです。
これが咲く頃になると白い砂浜と青い海、そしてトロピカルジュ~ちュが頭に浮かんきます。
徳川園では様々な花弁の色をしたこのハナショウブを観ることができます。
ハナショウブは江戸時代の徳川家一門「松平定朝(まつだいら さだとも」通称「菖翁(しょうおう)」が、多くのハナショウブの品種改良に成功しています。

そのお陰で現在では様々な花弁の色を付けるハナショウブを日本中で観ることができます。

アジサイ

ハナショウブ同様にこの花が咲く頃は、クソくそクソ!ジメっとしていてぇ、夏い、夏いっ!どうしたらエエの?・・的な時期です。
アジサイは6月になると日本中の至る場所で当たり前のように観ることができる花ですが、徳川園で観るアジサイは何だか少し印象が異なります。
キレイに整った何とも優雅な花弁を付け、このアジサイたちを観ていると何だか優しい気持ちになれます。
小雨の日にエスカルゴ君がアジサイに乗っている姿を発見すれば、千載一遇のシャッターチャンスです!お見逃しなく!

モミジ

秋と言えば「紅葉(モミジ)」です。秋の季語にもなる樹木です。
ここ徳川園は名古屋市内における紅葉の一大観光スポットでもあります。
例年、多くの観覧客が徳川園のモミジたちを観に訪れます。

  • 徳川園で3色の紅葉が観れる時期:11月中旬
  • 徳川園の紅葉の見頃:11月下旬から12月初旬

ヒガンバナ

最近は都市開発が進み、見かける機会がグッと減りましたが、道端に咲いている花で秋を象徴する花に「彼岸花(ヒガンバナ)」があります。
例年、秋の「お彼岸」の頃に花を咲かせることから「彼岸」のネーミングが付されています。

曼珠沙華(まんじゅしゃげ)」の別名をもっており、これは仏教(法華経)における「天上の花」の意があります。


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マンリョウ(万両)

マンリョウは一見すると花にも見えますが、低木の樹木です。
毎年、冬に綺麗な実を付ける珍種の樹木で知られています。
マンリョウは漢字で書くと「万両」と書くことから、金運招福の正月の縁起物として神棚や仏壇へお供えされたり、地域によっては正月飾りにも使用されます。

ツバキ(椿)

ツバキもマンリョウと同じく冬に花弁を付ける珍種の花です。
このように徳川園では冬でもマンリョウやツバキの花弁が見れますので、春や夏と変わらない景色を四季と通して観ることができます。

サザンカ(山茶花)

サザンカと言えば冬を代表する花です。冬にそれはそれは君のようにキレイな大輪の花弁を付けます。
徳川園のサザンカはひときわ大きな花弁を付けるので見ごたえがあります。

牡丹と牡丹園

4月中頃から下旬にかけて、この徳川園では大きな大輪の花弁を開花させた牡丹(ボタン)が咲き乱れます。
徳川園の牡丹は約55種類・約1000本もの牡丹が群生しており、毎年4月の中頃を迎えると、これら数千のボタンが一斉に咲き誇ります。
桃色、紅色の牡丹を筆頭に、遅咲きの黄色など、色とりどりの牡丹を観ることができます。

徳川園に自生する植物一覧

早春
梅、桃、ユキヤナギ、ジンチョウゲ、アンズ、ボケ..etc
牡丹カキツバタ、ヤマブキ、ツツジ、ヒトツバタゴ..etc
ハナショウブ、ヤマモモ、クチナシ、サルスベリ、ヤマアジサイ..etc
ヒガンバナ、ナンテン、ハクサンボク、キンモクセイ、タカノハススキ..etc
マンリョウ、モチノキ、ロウバイ、サザンカ、ツバキ、カンツバキ..etc

その他の徳川園の見どころ

徳川美術館(とくがわびじゅつかん)

徳川園の隣には徳川美術館があります。
この美術館には尾張徳川家ゆかりの品々や、かの徳川家康公・愛重の品々が展示されています。
「旧・本館」が国指定の建造物登録有形文化財の指定を受けています。(見学可能)

蓬左文庫(ほうさぶんこ)

蓬左文庫は徳川美術館の真隣に建っている建物であり、かつては名古屋城に存在したとされる名古屋城の書庫です。
徳川美術館と同様に「エントランスホール」が国指定の建造物登録有形文化財の指定を受けています。(見学可能)

徳川美術館・蓬左文庫に関しては当サイトの以下↓の別ページにてご紹介しております。

徳川美術館・蓬左文庫の見どころ・楽しみ方と見学所要時間【館内地図付き】

ガーデンレストラン徳川園「複合店」

徳川園の園内には「ガーデンレストラン徳川園」というランチ(お昼の食事)や軽食(カフェ)が楽しめるお店があります。
「ガーデンレストラン徳川園」は園内に以下の3つのようなお店を設けています。

レストラン徳川園

昼時になると平日でも待ち時間が発生するほどの人気店です。
フレンチ店ですのでメニューはすべてコースになります。
日本を代表する有名なシェフが作るだけあってコースメニューは少し値段がお高いです。
ボンビーでケチな金欠な方は、コンビニで「そぼろ弁当」と「どん兵衛」を買ってきて店外で店の外観を見つめながら、今日1日で最高の笑顔で食べましょう!(←そぼろ一押し!)

  • おすすめのメニュー:平日限定コース2500円

収容人員:着席50名
電話番号:052-932-7887
営業時間
レストラン
11:00~14:00(L.O)15:00(CLOSE)
17:00~21:00(L.O)23:00(CLOSE)
カフェ&バー蘇山荘 [火~金]
10:00~16:30(L.O)17:00(CLOSE)
19:00~23:00(L.O)23:30(CLOSE)
定休日:不定休

蘇山荘

蘇山荘」は「そざんそう」と読み、この建物は1937年(昭和12年)の3月15日~5月31日に開催された「名古屋汎太平洋平和博覧会(なごやはんたいへいようへいわはくらんかい)」で使用された「旧迎賓館(きゅうげいひんかん)」をそのまま移築してきた建物です。
そんな歴史を持つことから国の登録有形文化財の指定を受けています。

和風レトロな空間に包まれて、さらに美しい庭園を見ながらのティータイムはあなたの心のワダカマリをきっと優しくホグしてくれるはずです。
尚、夜(ディナー)も営業しており、バー(BAR)に変わります。

  • おすすめのメニュー:フレンチの名店「マキシムドパリ」のハヤシライス:1,200円

電話番号:052-932-7887
営業時間:10:00~17:00 19:00~23:30
※ご宴会プランの利用は18:00から予約可
定休日
土日祝日・月曜日 月曜日が祝日の場合はその翌日

ガーデンホール

ここは宴会専用の会食場です。30名以上からの予約で入店できます。
和食と多国籍料理のビュッフェ(バイキング)なので、しこたまドテッ腹へブチ込みたい方は多いに予約する価値があります。ただし30名以上集めてこなければなりません。

  • おすすめのメニュー:ビュッフェコース4000円

電話番号:052-932-7887
営業時間:10:00~17:00/19:00~23:30
定休日:土日祝日・月曜日 月曜日が祝日の場合はその翌日

食事処の窓から眺める徳川園の美しい景色は、身体の内側からリフレッシュすることができます。
まさに散策での軽度な疲れを癒すには、うってつけの場所です。
日頃の喧騒の世界から自らの精神の行き詰まりを解放してください。

ガーデンレストラン徳川園のお問い合わせ先

〒461-0023 名古屋市東区徳川町1001番地
電話番号:052-932-7887
E-MAIL:info@gr-tokugawa.jp
URL:http://www.zetton.co.jp/shop/tokugawaen/

徳川園の見学所要時間

徳川園の見学所要時間は徳川園の公式では約30分から40分ほどですが1時間を見積もっておいた方が賢明です。
また、上述のレストランや喫茶店で食事や休憩するのであればその分滞在時間がプラスされます。
それと徳川園を一旦出て、隣の徳川美術館や蓬左文庫へも行かれる場合、これらを引っくるめた時間は約3時間から3時間30分ほどになります。
すべての施設を観覧される場合は「共通拝観券」を購入して、蓬左文庫(午前9時開館)か「徳川園(朝9時30分開園)」に入場し、午前10時を過ぎた頃に徳川美術館へ移動すれば流れよく観覧ができます。(徳川美術館は10時開館)

徳川園へのお問い合わせ先

住所:愛知県名古屋市東区徳川町1001
電話番号:052-935-8988
営業時間:9時30分~17時30分
定休日:月曜日(月曜日が祝日の場合は翌平日が休日)
URL:http://www.tokugawaen.city.nagoya.jp

おわりに・・【補足】大曽根の歴史

この大曽根の地は、江戸時代では宿場町として繁栄し現在の長野県へ通じる道「善光寺街道(ぜんこうじかいどう)」と愛知県の北側に位置する「瀬戸焼の発祥の地」・「瀬戸市(せとし)」へ通じる「瀬戸街道(現在の県道61号線)」の分岐点として栄えた街です。
江戸時代における街道の分岐点と言えば、ほとんどの旅人が立ち止まるので、ほぼ必ずと言って良いほど宿場や休憩処が立ち並んでいました。

それはこの大曽根も例外ではなく旅人たちを迎えるために宿場や休憩所が数多く立ち並び、かつては宿馬町「大曽根口」と呼ばれ、たいそう賑わっていました。

「大曽根」の地名が付された理由

「曽根」という地名は日本全国の至る街で見かけることができますが、「曽根」の呼称の理由として以下のような説が述べられています。

  1. 城下町の入口まで来た(近づいた)という表現をするときに「そね」と呼び、そのまま地名になった。
  2. 川の氾濫を防ぐための堤(つつみ/ていぼう)を「そね」と呼んだ。

・・などですが、ここで述べた他にもまだ説があるようで地方によって異なるようです。

しかし、日本全国の「曽根」と呼称される土地の統計を見てみると、おおよそ川に近い場所が曽根と呼称されているようです。
これを大曽根に当てはめると、確かに大曽根の北には「矢田川(やだがわ/旧・大幸川)」が流れており、また名古屋城の城下町から約1里(約4キロ)の地点に位置しています。
以上のことから、上述したような説が「大曽根」の地名の由来になっているものと考えられます。

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