【公式記載なし❗️「八子社」の正体とは❓】神様のご利益や場所・歴史(名前の由来や創建年・南新宮社との関係など)を..お知る❓

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↑右側にパンツちら見え級にチラ見えちまってる社殿は南新宮社

  • 社格:熱田神宮 境内末社

「八子社」の読み方

八子社:やこのやしろ

「八子社」の別名

かつては古称で次のように呼ばれていた時期もあった様子♡(明治の神仏分離令前)

「八王子社」「八子宮」「八王子ノ社」「八王子ノ祠」

「八子社」「八王子社」の名前の由来

単純に当社にて素敵に奉祀する八人(八柱)の神様の名前に因む♡

「八子社」の歴史

当社は元来、牛頭天王の八王子信仰の象徴となる神社であり、名前は改められるも、その痕跡を色濃く残す。

中世から近世にかけて、熱田神宮境内の下記社殿には、「八王子」や「八子」を冠した末社が点在した。

本宮・八剣宮・高座結御子神社・南新宮社・鈴之御前社

しかしながら、現在では南新宮社の摂社「八子社」のみが素敵に現存する。

他の八子社は廃絶、あるいは境内社の「徹社」へと これまた素敵に合祀された。

関連記事:【南新宮社の神様のご利益とは❓】 歴史(創建年・名前の由来・天王祭)や朱色の建築様式の謎|熱田神宮

関連記事:【一之御前神社と対照的❗️「徹社」の神様のご利益とは❓】歴史(名前の由来)と場所はドコ❓

かつて熱田神宮境内に「八王子社(八子社)」が複数箇所に存在した⁉️

史料 本宮 八剣宮 高座結御子神社 南新宮社 鈴之御前社
『熱田大神宮御鎮座次第神体本記』
(中世後期)
八子ノ神社
『熱田本社末社神体尊命記』
(1677年・延宝5年)
八王子 八子宮 八王子 八王子 八王子
『熱田本社末社神体尊命記集説』
(1693年・元禄6年)
八王子ノ社 八子宮 八子宮 八王子 八王子
『熱田宮旧記』
(1699年・元禄12年)
八王子社 八王子社 八王子
『熱田神社問答雑録』
(1704年・宝永元年)
八王子(今亡) 八子社 八王子社(今亡) 八王子ノ祠 八王子(荒蕪)
『熱田末社尊名記』
(1756年・宝暦6年頃)
八子宮 八王子 八王子社 八王子
『熱田神籬抄』
(18世紀後半頃)
八子社 八王子社
『社伝』
(18世紀後半)
八王子(今宝殿無シ) 八子神社 八王子(今社無シ) 八子 八王子
『熱田大神宮尊名祭神記』
(19世紀前半頃)
八王子社 八子神社 八王子社 八子神社
『尾張志』
(1844年・天保15年)
八王子ノ社(廃社) 八子ノ御前ノ社 八王子社(廃社) 八王子ノ社 八王子社
現在 (廃絶) (徹社に合祀) (廃絶) 八子社 (廃絶)

上表はWikipediaを素敵に参照💘

八子社の神様(御祭神)とは❓

「南新宮社」の左手、西に面した「八子社(やこのやしろ)」には、須佐之男命と天照大御神からの「誓約(うけい)」によって、ヤバぃよ素敵に生み出された5柱の男神、3柱のメス豚‥ではなく、女神!‥ンが!お祀りされてい‥申す。えっ

五男三女神 一覧

区分 古事記 日本書紀
第一子 正勝吾勝勝速日天忍穂耳命
(まさかあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)
天忍穂耳尊
(あまのおしほみみのみこと)
第二子 天之菩卑能命
(あめのほひのみこと)
天穂日命
(あめのほひのみこと)
第三子 天津日子根命
(あまつひこねのみこと)
天津彦根命
(あまつひこねのみこと)
第四子 活津日子根命
(いくつひこねのみこと)
活津彦根命
(いくつひこねのみこと)
第五子 熊野久須毘命
(くまのくすびのみこと)
熊野櫲樟日命
(くまのくすびのみこと)
第六子 多紀理毘売命
(たきりびめのみこと)
田心姫命
(たごりひめのみこと)
第七子 市寸島比売命
(いちきしまひめのみこと)
市杵島姫命
(いちきしまひめのみこと)
第八子 多岐都比売命
(たぎつひめのみこと)
湍津姫命
(たぎつひめのみこと)

神仏分離令以前は現在とはまったく異なった神が祀られていた⁉️

現在は「八子」だが、かつては「八王子」とも呼ばれており、その「八王子」とは牛頭天王の八人の王子(眷属神)のことをいう。

やはり父親の利生を受け継ぎ、各々、疫病や害虫を素敵に祓う神だと伝わる。

これらは陰陽道の方位神とも深い関係性が‥あっちゃぅ。

区分 牛頭天王の八王子 陰陽道・方位神としての名称
第一王子 相光天王(そうこうてんのう) 太歳神(たいさいじん)
第二王子 魔王天王(まおうてんのう) 大将軍(だいしょうぐん)
第三王子 倶魔良天王(くまらてんのう) 歳徳神(としとくじん)
第四王子 徳達神天王(とくだつじんてんのう) 歳末神(さいまつしん)
第五王子 羅侍天王(らじてんのう) 黄幡神(おうばんしん)
第六王子 達尼漢天王(だにかんてんのう) 伏神(ふくじん)
第七王子 侍神相天王(じしんそうてんのう) 豹尾神(ひょうびしん)
第八王子 宅相神才天王(たくそうしんさいてんのう) 大隠神(だいおんしん)

【蛇足】陰陽道で広く知られる「八将神」一覧

「八将神(はっしょうじん)」とは陰陽道の神のことで、それぞれ方位の吉凶を司る存在とされる。「八将軍」とも呼ばれる♡

区分 神名
一神 太歳神(たいさいじん)
二神 大将軍(だいしょうぐん)
三神 太陰神(たいいんしん)
四神 歳刑神(さいぎょうしん)
五神 歳破神(さいはしん)
六神 歳殺神(さいさつしん)
七神 黄幡神(おうばんしん)
八神 豹尾神(ひょうびしん)

殊に、「八王子」なる地名は埼玉、三重、京都に多いといわれる。

なぜ熱田神宮に「八王子」が祀られている❓

寛政二年(1790年)の「八ヶ村祭礼之覚」という古記録によると、一条天皇の御代、寛弘年間(1004~1012年/平安時代中期)に熱田周辺地域で疫病が蔓延し、多数の死者が出た。

そこで当時、熱田神宮境外の門前町にあった「南新宮天王社」や「洲崎神社」の神前にて「旗鉾(はたほこ)」を用いて、疫神を盛大に祀って祈りを捧げたらしい。

‥すると、スッキリきりきりキリあれへん‥てなほど、スッキリと疫病がおさまったことから、以来、毎年同じ日にお祭りを開催するようになった。どゆ意味や 

これが今日に見られる「南新宮社」と南新宮社の例祭「南新宮社祭(熱田天王祭)」の草創奇譚とされる。

その南新宮社の主祭神が疫病退散の利生で知られる「牛頭天王(スサノオ神)」だったことから、後世、その子神が勧請して、さらにスサノオ神の神威の増大を促進させたと考えらえる。

やがて、その子神らを信奉した「八王子信仰」が生じ、中世〜近世にかけて殷賑きわったという。

八子社の建築様式

屋根は銅板葺で置き千木はなし。社殿は一間社 見世棚造(みせだなづくり)。

熱田社境内の他の多くの社殿は神明造。大して当社は甘く見られたもんだな俺も‥フッ😎……てなほどに質素かつ、簡素な造りの社殿。

八子社の場所(地図)

  • 南新宮社を正面に見て左脇

熱田神宮・南新宮社↑南新宮社を正面に見て左脇に佇む茶色屋根の小社が当社。

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