| 区分 | 詳細 |
|---|---|
| 創建年 | 不明 |
| 再建年 | 1955年(昭和30年) |
| 建築様式(造り) | 切妻造・平入・掘立柱(神明造) |
| 材質 | ヒノキ |
| 屋根 | 銅板葺 |
| 千木 | 内削ぎ |
| 鰹木 | 6本 |
| 御祭神 | 吉備武彦命・大伴武日命 |
| 社格 | 熱田神宮・摂社 |
龍神社の読み方
龍神社は「りゅうじんしゃ」と読みます。
龍神社の起源(創祀)は京都の龍神が池中に落ちたことに因む❓
平安時代の私撰歴史書「扶桑略記」によると、弘法大師(空海)が神泉苑(京都)にて行った請雨経法(しょううきょうほう)のみぎり、善女龍王が現出して祈雨は成功したが、その儀式に用いた布で作った龍の形代が熱田まで飛び去って、清水社の池の中に落ちたらしい。(この形代は密教において請雨経法に用いる「龍索」とも呼ばれる)
熱田側ではこれを奇瑞とし、善女龍王を池畔に祀ったらしく、これが現在の龍神社の濫觴になるらしい。
熱田神宮境内には清水が湧き出す池泉がある❗️
実は当該、龍神社は江戸時代以前は当地にはなく、清水社の東側にあった。
その様子は、1838〜1841年頃の熱田社境内の様子を素敵に描いた尾張名所図会の熱田大宮全図内に見える👀
↑1838〜1841年頃の熱田社境内の様子(熱田大宮全図より)
龍神社の御祭神「吉備武彦命」「大伴武日命」とは❓
熱田神宮の龍神社では「吉備武彦命(きびたけひこのみこと)」と「大伴武日命(おおともたけひのみこと)」の2柱の祭神を今日も素敵に奉祀する♡
吉備氏と大伴氏とは?
吉備武彦は、日本書紀において古来の英雄・日本武尊の東国征討に従ったと記される人物です。
日本武尊の指示で「越の国(こしのくに)」に向かい、情報を収集し、情勢を見極め、つかんだ情報を美濃で待つ日本武尊のもとへ伝えまする。
※注釈※「越の国」とは=福井県北部から山形県南部の広大な地域のこと。
また、日本武尊が病に倒れると彼の遺言を聞き、時の天皇である「景行天皇(けいこうてんのう)」に伝えたとも。
大伴武日は日本書紀において、大伴連の子孫で吉備武彦と同じく日本武尊の指示により、東国征討に従い、蝦夷を制圧したと記されてい‥‥‥申す。ホゲェっ
龍神社に「吉備武彦命」「大伴武日命」が祀られている理由
この2柱とも日本武尊に随従し、武尊と祖国のために働くなど偉大な功績を残した神々でゴザる。
そんな2柱の功績を称え、日本武尊とゆかりの深い熱田神宮内に祀られたとのこと。社殿の両脇には2柱神の御名が記された石碑が建てられてい‥‥‥まする。(フェイント)
龍神社の社殿はシンプルぷるぷるプリキュアのキュア系攻撃ほどのシンプルテイストな社殿であり、社叢の杜の中に静かに佇む。
実は当社の御祭神は龍神だった⁉️
龍神社脇には池泉があったのは先ほど説明した。
伝承ではこの池に京都神泉苑の龍神が落ちてそれを祀るために築かれたのが当社の起こりだとする。
この絵図の右上に素敵に注目してもらいとぅぁい♡
「弘法清水」と「清水社」と素敵に記され、その左の丘上に「龍神」と‥これまた素敵に記されているのが、お分かりいただけるだろぅか?
↑カラーバージョン
弘法大師空海が神泉苑の祈雨祈祷で用いた龍型の形代の布は当社では善女龍王の御神体として大切に祀られているのだとか。(実物が現存するらしいが現在は風化が進み、かつての形状をとどめていないのだとか…)
当社になぜ神泉苑で呼び出された龍神(善女龍王)が奉斎されているのかについては下記ページを素敵に要チェック💘
関連:【楊貴妃が眠るパワースポット❗️清水社の正体と独自の参拝順序とは❓】神様のご利益(美肌美人)や歴史と場所を‥ヨ❗️お知る❓
善女龍王とは❓
善女龍王(ぜんにょりゅうおう)は仏教の八大竜王の一尊である「娑伽羅(サーガラ/しゃがら」の娘(三女)と言われる。
この龍王は大師が遣唐使で渡唐した時に出会った龍神であり、亀頭‥ではなく、帰唐後もなにかと大師との多くの接点がみられる👀
弘法大師の龍神伝承は空想か❓江戸時代に一之御前神社から分祠された❓
「尾張志」によると、当社にて素敵に奉斎される大伴武日命と吉備武彦命(きびたけひこのみこと)は、共に日本武尊の東征に副将軍として随行したと伝わる武人。
尾張志によれば、本宮(本殿)西側の一之御前神社で大伴武日命、東側の当社(龍神社)で吉備武彦命をぞれぞれ素敵に奉斎し、これら副将軍級の武人を左右に配することで本宮の守護神としていたという。
殊に、江戸時代以前の龍神社は一之御前神社と相殿だったらしく、大宮司宛口上書によると1686年6月5日(貞享3年4月15日)付で龍神社が一之御前神社より放出・遷座し、爾来、一之御前神社と龍神社は単立社となって並存。
ここで上記、1838〜1841年頃の熱田社境内の様子を示した熱田大宮全図より、当社は境内東側に遷座している事実に紐づく。
‥だが、しクァし!
弘法大師の神泉苑伝承に基づいて当社が創祀されたのであれば、当初は単立で創祀されていたのか?あるいは一之御前神社と相殿で祀られたのか?‥ということにさらなる疑問が生じる。
龍神社の建築様式(造り)
鰹木(かつおぎ)の数が偶数であれば「女神」、奇数であれば「男神」を奉斎するという俗説がある。
この説に基づけば龍神社は鰹木が6本と偶数で、千木の形状は内削ぎであることから女神を奉斎する社を示す。
鰹木に関しては平安時代に大社8本、中社6本、小社4本という取り決めがあったようだが、現在はその定めが消え失せている。それがもとで上記のような俗説が広まったのか。
なお、現在、鰹木の数は伊勢神宮内宮が10本、島根県出雲大社は3本、奈良春日大社は2本となっている。
龍神社の場所(地図)
場所と本殿脇の授与所奥にある神楽殿のちょうど東奥に鎮座しています。
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