【菅原社の神様のご利益とは❓】歴史(以前の場所や創建はいつ❓)..なぜ熱田神宮に学問の神が祀られる❓

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区分 詳細
創建年 不明
建築様式(造り) 切妻造・平入
屋根の造り 銅葺
御祭神 天神様(菅原道真)
社格 熱田神宮・末社

「菅原社」の読み方

菅原社は「すがわらしゃ」と読みます。

菅原社の名前の由来

「菅原社」という社名は、古今、「天神様」という名称で有名な学問の神様、菅原道真公が祀られていることに由来する。

菅原社は別名で「外天神」とも呼ばれる

折よく、熱田神宮境内の中心あたりの文化殿北側に鎮座する、医薬の神様「内天神社」に対して、菅原社は別名「外天神(そとてんじん)」といわれる。

毎年受験シーズンになると、末社の神社といえど、知名度の高い熱田神宮内にあるということで、大勢の受験者が合格を祈って参拝に訪れる。

菅原社の御祭神「天神様(菅原道真)」

菅原社には、天神様という名で有名な学問の神様、菅原道真公が祀られています。

菅原道真と言えば太宰府天満宮(福岡県太宰府市)の名前が挙がりますが、菅原道真公をお祀りする神社は日本全国に多々あります。

そのうちの1つが、熱田神宮の境内の「菅原社」です。

しかし、天神様が祀られている神社で、よく見かけるお牛さまは残念ながらありません。

菅原社・天神社の歴史(起原)とは❓

当社がいつ頃、誰が創祀したのかは未詳とされる。

当社の祭神である菅原道真公は、平安時代初期に誕生した人物で生まれながらに聡明さを有し、歳を重ねるごとに出世してゆき、やがて右大臣にまで昇り詰めます。

しかし、道真公の出世を快く思わない藤原氏の讒言・謀略によって道真は太宰府(九州)へと左遷されてしまう♡

その後、再び都の土を踏むことなく、903年(延喜3年)に九州の地で59歳でこの世を去っちゃぅ。

しクァし!

道真公が逝去した後、世は天災や疫病に見舞われ、藤原氏を筆頭に「道真公の祟り(たたり)」とまで騒ぎ立てる人々が出没し、混乱に陥った。

定説では、焦った藤原氏が保身のために道真公を御霊を鎮めるべく、日本全国に道真公を祀る社を造営する‥のだが!

当該、「菅原社」や「天神社」はその時に営まれたものではなく、もう少し後の時代になって天神信仰(道真を神とした信仰)の信者が当社や天神社を創祀したと推考される。

けれども、室町時代(1529年〜30年頃)の熱田神宮境内図には当社が描かれていることから、完全否定できるものでもない。

何の目的で天神信仰を境内に勧請したのかは今となっては未詳とされるが、菅公の死後、天神信仰が広く弘通し、その流れで当社へも天神信仰がもたらされたと推考できる。




菅原社の歴史・見どころ

絵馬奉納

菅原社は学問の神様である菅原道真公の神霊が祀られていることから、社殿の前には合格祈願をはじめ、学業成就、入試合格、智慧授け、その他、祈願成就などの祈願絵馬が数多く掲げられているのが印象的です。

菅原社の特徴的な参拝方法

実は菅原社にまつわる珍しい風習とも言えるべき、特徴的な参拝方法があります。

まず、菅原社で参拝した帰りに、境内北西角にある下知我麻神社(しもちかまじんじゃ)へも参拝して、神前付近の「石」を頂いて帰宅します。

帰宅後、参拝した時の願い事が叶った場合は、頂いた石の2倍の大きさにあたる石を見つけて、再度、熱田神宮に持参して、菅原社に奉納するそうです。

下知我麻神社の石を身近に置いておけば、願い事も叶いそうな気もしてきます。ウフ

菅原社の場所(地図)

熱田神宮の境内・西門の鳥居をクグって、すぐの左脇に位置します。

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