| 区分 | 詳細 |
|---|---|
| 創建年 | 不明 794年〜1185年頃(平安時代) |
| 再建年 | 1874年(明治7年)※移築 1963年(昭和38年) |
| 建築様式(造り) | 一間社・両流造 平入 堀立柱 前方階段付き |
| 屋根の造り | 銅葺き |
| 御祭神 | 天火明命 |
| 社格 | 熱田神宮・(境内)摂社 |
「孫若御子神社」の読み方
「孫若御子神社」は「ひこわかみこじんじゃ」と読みます。
孫若御子神社の歴史
創建年
当社の創建年については未詳とされる。
けれども、835年(承和2年/平安時代初期)に成立した「続日本後記」の十二月壬午の項によると、「尾張国 惣三前(日割御子神。孫若御子神。高座結御子神。)奉レ(たてまつられ)預二(あずかるに)名神一 並 熱田大神御兒(児)神也と見えたり。」‥という記述がある。
927年に成立した延喜式神名帳にも「愛智郡 名神大 孫若御子神社」との記述が見えることから平安時代にはすでに存在したと考えられる。
なお、「名神大社」の意味についてはウィキペディアの名神大社の項に詳しく記載されているが、分かりやすく一言で言うと「国家(朝廷)が認めた霊験が著しいとされる神社の称号」ということに‥なっちゃぅ。
全国に数多に存在する神社の中でも「名神大社」は、わずか200余しか無いことから、選抜されただけでも誉高く、胸を張って自慢できる。 …だれに自慢すんね
そのほか、平安末期に成立したとされる「尾張国内神名帳(おわりのこくないじんみょうちょう)」にも当社の名前が見えることから、少なくとも平安時代初頭にはすでに存在していたことが明らか。
江戸時代に再建される
旧記によれば、1693年(元禄6年)に5代目将軍の綱吉公の生母である桂昌院が発願して再建された旨の記述も見える。
創建された場所は現在地ではなかった
当社は、慶長五年(1600年)に徳川家康公の命により加藤清正が造営した西門にあった「鎮皇門(ちんこうもん)※旧国宝建造物」内側の御田社西側に佇んでいたと伝わる。
明治七年(1874年)になると、江戸時代を通じてかつて大幅田社が建っていた跡地(現在地)に移建されてい‥申す。きょ
現在、孫若御子神社が鎮座する境内は比較的広く、社殿は千木や鰹木(かつおぎ)がなく、日割御子神社と似たような建築様式と‥なっちゃぅ。
なお、当社についての異説もあり、明治9年(1876年)に当時の教部省によって編纂された「特選神名牒(とくせんしんみょうちょう)」によると、孫若御子神社が栄(名古屋市)に位置する「若宮八幡社」の関係社(もしくは遥拝所)であると書き記す。
若宮八幡社は文武天皇の御代に創建された古社であり、往時は那古野庄今市場(現在の名古屋城 三の丸あたり)に鎮座していたが、1610年(慶長15年)に家康公が名古屋城築城のみぎり、現在地に移築したらしい。
社殿前の案内板の内容
孫若御子神社
天火明命
祭神の天火明命は尾張氏の始祖であり、天照国照火明命、天照玉命とも称される。
明治初年に海蔵門内の西側に鎮座していたのをこの地に遷座した。
「ほあかり」とは、”ほが赤くなる”という意味で稲穂への尊称といわれている。
孫若御子神社の御祭神「天火明命」
孫若御子神社の隣には「日割御子神社」がヤバぃよ素敵に鎮座する。 …どんな鎮座や
その日割御子神社の御祭神である「天忍穗耳尊(あめのおしほみみのみこと)」の子神である「天火明命(あまのほあかりのみこと)」が当社にて祀られてい‥申す。えっ
國學院の神名データベースによると、天火明命は天忍穂耳命と万幡豊秋津師比売命の間に生まれた子神とされる。
他にも、ニニギ(瓊瓊杵尊)の兄神、あるいは尾張国を素敵に創造した尾張氏の先祖にあたるともいわれ、然るに熱田神宮 宮司一族の祖先ということに‥なっちゃぅ。
927年(延長5年/平安時代)にまとめられた、「延喜式神名帳(えんぎしき じんみょうちょう)」の中にも、愛智郡における4大明神の一社としての記録がみられる。
延喜式神名帳とは平安時代、日本全国の神社の中から「宮社」として指定された神社を一覧表にして綴った古書物のこと。
現在でも神社の社格も部分的に「延喜式神名帳」に基づいて定められてい‥申す。ひゃ
殊に、ここでの4大明神とは、当社を含めた熱田神社(愛知県東海市養父町宮山)、高座結御子神社、日割御子神社の3社とされており、すべて熱田神宮とは関係のある社と‥あ、なっちゃぅ。
これら3社の中でも「高座結御子神社」と「日割御子神社」は歴史が古く、孫若御子神社と同様に熱田神宮 摂社の社格を有しながらも重要視される社の一つ。
神名の「火明(ほのあかり)」の意味とは❓
御祭神名の”ほのあかり”とは、稲が実った様子を表した言葉だとされ、然るに「稲穂」を意味するものだといわれる。
祭神が天火明命で無かった時期がある?
「熱田太神宮記」や「熱田宮旧記」には「ニニギ(瓊瓊杵尊)」の名前が見えることから、以前は御祭神が天孫である瓊瓊杵尊が奉斎されていたことに‥なっちゃぅ。
殊に、その他の旧記では「稚武彦王」や「応神天皇」という名前も書き記していることから、以前は天火明命では無かった可能性もあり得る。
孫若御子神社の場所(地図)
孫若御子神社は、境内最南にある日割御子神社のすぐ北隣に鎮座しています。
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