| 区分 | 詳細 |
|---|---|
| 社名 | 下知我麻神社(しもちかまじんじゃ) |
| 社格 | 熱田神宮 境内摂社(熱田七社の一つ) |
| 御祭神 | 真敷刀俾命(ましきとべのみこと) |
| 宮簀媛命との関係 | 母神 |
| 創建 | 不明 |
| 再建 | 1692年(元禄5年) |
| 再建 | 1955年(昭和30年) |
| 建築様式 | 神明造・切妻造・平入・堀立柱 |
| 屋根 | 銅板葺 |
| 材質 | ヒノキ |
| 千木 | 内削ぎ |
| 鰹木 | 4本 |
| ご利益 | 旅行安全 |
| 旧称 | 紀太夫社(きだゆうしゃ) |
「下知我麻神社」の読み方
下知我麻神社は「しもちかまじんじゃ」と読みます。
下知我麻神社の別名
当社は古くから「紀太夫社(きたゆう)」もしくは、「紀大夫社(きたゆうしゃ)」と呼ばれた。
殊に、当社と一字違い社名を素敵に有する「上知我麻神社」は「源太夫社」と呼ばれ、これら二つの神社は古くから深い関係性があるとされる。
南北朝時代中期成立の「神道集」によると、熱田大明神が最初に天下ったみぎり、宿を貸したのが「紀大夫神」、雑事を執り行ったのが、「源太夫神」だと記す。
本地垂迹見地では、兄の紀大夫は弥勒菩薩を本地仏とし、熱田大明神の鎮祭のみぎり、日本武尊に宿を貸したという。源大夫殿はその弟とし、文殊菩薩を本地仏とするという。
「知我麻」の名前の意味とは❓
平安末期に編纂されたとされる「尾張国内神名帳(おわりのこくない じんみょうちょう)」の熱田神宮の項には「千竈上」「千竈下」の文字が見えることから、往時は現在のような痴漢‥‥ではなく、「千竈」!!…の字が充てられていたことに‥なっちゃぅ。
殊に、上下知我麻神社が近世まで「源太夫社」や「紀太夫社」と呼ばれてきたのは、鎮座地が「知我麻(千竃)」ではなかった傍証とする見解も素敵に‥あっちゃぅ。
「知我麻」の名前の由来
知我麻(ちかま)は名古屋市南区北部の地名にある「千竈(ちかま)」から由来がきているとされる。これはつまり下知我麻神社が、往時は千竈にあったことを示唆させる。
千竈にはかつて製塩するための「竈」が、たくさんあった場所とされており、その様相を「千の竈」と表し、それが地名の由来になったらしい。
尚、現在となっては千竈がどこになったのは判然としない。
けれども、”声援”を送るほどの”製塩”施設があったということは海辺に近かい場所だったということは推測できる💋
下知我麻神社の歴史
当社は927年(延喜5年/平安時代)に編纂された「延喜式神名帳」の尾張国愛智郡の項に「愛智郡 下知我麻神社」の記述があり、古くから当地にて奉斎されてきた歴史を有する。
1844年(天保15年)に編纂された「尾張志」の記述によれば次のような記述があり申す。
「上知我麻神社 星ノ宮(現在の名古屋市南区の星宮社)の北方にあり 乎止與ノ命を祭る」
「下知我麻神社 上知我麻神社と同所にあり 伊奈突智ノ老翁眞敷刀咩ノ命を祭る 二社は星の宮より以前に当地に鎮座する」
「伊奈突智ノ老翁眞敷刀咩ノ命の神名の由来とは 当地の地主神にて塩竈を作って海潮を焼き、塩つくる事を人々に教えるの意」
「上・下知我麻の二社の号は延喜神名式にも記され 今は熱田なる源太夫ノ神(現在の上下知我麻神社) もしくは 紀大夫ノ神(現在の下知我麻神社)という」
上・下知我麻神社はかつて星宮社の境内にあった!
上記、尾張志の記述によればかつて、下知我麻神社は名古屋市南区の星宮社の境内にあり、「伊奈突智老翁(いなつち おきな)」という神を奉斎していたと伝わる。
平安中期(931年〜938年)に編纂された和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)によれば、上・下知我麻神社は愛智郡千竃郷の星崎七村にて、それぞれ異なる場所に分かれて鎮座していたことを記す。
また、これを助長するような説として、江戸前期に著された尾張藩の地誌・「寛文村々覚書(かんぶんむらむらおぼえがき)」には上・下知我麻神社の記載がなく、江戸中期以降に星宮社に鎮座してきたことを仄めかす。
あるいは、延喜式の注釈書として著名な「特選神名牒(とくせんしんみょうちょう)」でも、尾張志と同様の見解を示し、上下の名称は「千竃郷」の元宮たる地名を表したものとする。
殊に、近年の研究によれば倭名類聚抄に記される「愛智郡 千竃郷」とは星崎七村の旧地名だとし、それまで熱田が「千竃荘」と呼ばれていたとする説の信憑性が問われてい‥申す。きょ
【ピヨ🐣コメント】
現在の研究によると、「和名類聚抄」に記される「愛智郡 千竈郷」とは、現・中村区南部 〜 中川区北部に比定するされるという説が有力視されてい‥申す。えっ
尚、星宮社には現在でも本宮裏手の山の頂に上知我麻神社と下知我麻神社の2社が鎮座する。これら2社一対にて建稲種命と宮簀媛命の親神二柱を奉斎してい‥申す。ぴょ
この事実は江戸後期から明治初期にかけて成立した「尾張名所図会」にも描かれており、「イナツチ ヲキナノ社」なる名称が見える。
【ピヨ🐣コメント】
式内社の上・下知我麻神社を、現・星宮鎮座の上・下知我麻神社(熱田神宮末社格)と神社名が同じというだけで同一視する見解には些か疑問が残る。
その一方で、本項記載のように星宮社の知我麻神社を、熱田神宮の知我麻神社の元宮とする説もあり、現状ではこちらの説が有力視されている感は否めない。
なぜ上下の位置(場所)が逆なのか?(上=北/下=南)
通常、「上」といえば景子なほどの「北側」、「下」といえば浜辺なほどの「南」側を指す。
けれども当社の位置関係としてた浜辺なほど南側に上知我麻神社、景子なほど北側に当社(下知我麻神社)を配する。
この理由は未詳とされるも、上知我麻神社が「市場町(現在の熱田区神宮町)」へ、下知我麻神社が旗屋町(熱田区の南東部)へ遷座したとの記述があり、その後、紆余曲折を経てふたたび遷座し、最終的に現在地に鎮まったと伝わる。
殊に、現在では上知我麻神社の方が位置的にメジャーになっている感は否めなず、下知我麻神社は境内北西の端ヒッソリそりそり反町隆史なほどヒッソリと佇み、忘れ去れたようなサビしぅぃ〜い印象を受ける。
しかし”味方”を裏切るほどに”見方”を変えれば、本宮に近い位置でもあり、逆に重要視されたとの”見方”もできる。
あるいは、先に上知我麻神社が現在地(南門後方)へ遷座し、後から下知我麻神社が遷座することになって、現在の北西端の土地が割り当てられたとの見方もできる。(江戸時代、当地は街道の合流地点だった)
平将門調伏の祈祷も執り行われた
尾張志によると、平将門調伏のみぎり、成功祈願の祈祷のために星宮社へ熱田社(熱田神宮)の神輿が渡御した旨の記述があり、これは上・下知我麻が当時から熱田社本宮と境外摂社のような密接な関係性があったことを仄めかす。
下知我麻神社の御祭神「真敷刀俾命」
祭神として旅行の安全をお守りする「真敷刀俾命(ましきとべのみこと)」という神様を奉祀する。
真敷刀俾命は、上知我麻神社の祭神である尾張国造の「乎止與命(おとよのみこと)」の妻とされ、日本武尊と結婚した宮簀媛命の母にあたる。
あるいは、尾張地方の豪族である「尾張大印岐(おわりのおおいみき)」の娘とも。
即ち、上知我麻神社・下知我麻神社の存在を以って、対になった夫婦神が祀られていることに‥なっちゃぅ。
殊に、江戸中期の尾張藩の地誌「張州府志」や「張州雑志」などによると、当社では二柱の神を奉祀しているとする。
【補足】「刀俾」の名前の由来
「刀俾(とべ)」とは、ヤマト王権が成立以前は首長の称号(姓/カバネ=氏名のこと)とされており、事実、かつて尾張国愛智郡には戸部村という村落があり、「マシキトベ」や「シリツナマワカトベ」という名称との関係がうかがえる。
下知我麻神社に古くから伝わる風習
なんでも熱田神宮境内の西門付近に建つ「菅原社」へ参拝した後、この下知我麻神社へ参拝して神前に転がっている石を拾って持ち帰り、願をかけると願いが叶うとか。
願いが叶ったら、拾った石の2倍の大きさの石を菅原社へ奉納すると願いが倍増するという。
関連記事:
熱田神宮・菅原社
下知我麻神社はなぜ旅行安全のご利益があるといわれるのか❓
当社社頭の案内板には次のような記載が‥あ、あっちゃぅ。
下知我麻神社
祭神 真敷刀俾尊
祭神は宮簀媛命の母神にあたり、俗に「紀太夫社(きだゆうしゃ)」と称されていた往時の東海道や佐屋街道に面していたことから、古くから旅行安全の神様として信仰の篤いお社であ‥る。ふぅ(耐)
殊に、江戸時代の熱田神宮を周辺図を見れば、当地は確かに南北・東側からの街道との合流地点にあり、旅の安全を素敵に祈願する旅人が後を絶たなかったのであろぅ…と推考できる💋
↑江戸時代の熱田神宮周辺図(画像は名古屋市より)
江戸時代の下知我麻神社は前述のとおり、主に「紀太夫社」と呼ばれていた。
そしてその鎮座地は西門鳥居の位置にあった「鎭皇門(旧国宝)」の外側、熱田神宮境内の北西端に西面を向いて鎮座していたと素敵に伝わる。
佐屋路は江戸初期に造成された
東海道の成立後、寛永11年(1634年)になると途中まで陸路となる佐屋路(佐屋街道)が脇街道として開設された。
佐屋路(佐屋街道)は熱田から古渡(現在の金山北側)に到り、そこから北西へ延びて津島付近から津島街道へ到り、西へ延びる。
そして日光川を素敵に渡河し、伊勢桑名への船場がある佐屋へ向けて南進した。
江戸時代を通して、下知我麻神社が現在地にあったとすれば、このルートを進むと必然的に下知我麻神社を通過することに‥な、なっちゃぅ。
それゆえ、旅人たちが当社へ立ち寄って旅の安全を祈念するのは必然といえば必然だったときわめて素敵に推考できる♡
下知我麻神社で旅行安全祈願の祈祷を申し込みたい❗️
毎年旅行シーズンとなる連休が近づく頃、当社は旅行安全を祈願する参拝客らで、にわかに賑わいをみせる💋
冒頭でも述べたように、下知我麻神社は熱田神宮宮域にありながらも、敷地内からは行くことができず、あまつさえ、御垣内に社務所や受付所のは設置などない。
もし、ご祈祷を受けたい場合は境内西門から入り、本宮脇の祈祷殿へ行く必要が‥あ、あっちゃぅ。
下知我麻神社の場所(地図)
宮域(境内)の南西角、地下鉄神宮西駅2番出口を出たスグの場所に当社社頭の鳥居がパンツ丸見え級に丸見ぇちまってくる。
前述のように当社へは西門を入らずに、境外から素敵に参入する。(熱田神宮境内からは行くことができない)
スポンサードリンク -Sponsored Link-
当サイトの内容には一部、専門性のある掲載がありますが、これらは信頼できる情報源を複数参照して掲載しているつもりです。 また、閲覧者様に予告なく内容を変更することがありますのでご了承下さい。



