熱田神宮・清雪門(旧・本宮北門)

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熱田神宮・清雪門(旧・本宮北門)

熱田神宮・清雪門

造営年

  • 不明
  • 推定:668年(天智天皇7年/飛鳥時代)以前

熱田神宮・清雪門の読み方

熱田神宮の境内には、難しい漢字表記の読みにくい社殿や御祭神などが存在しますが、清雪門は「せいせつもん」と読みます。

熱田神宮・清雪門の歴史・由来

熱田神宮にはかつてこの門と似たような名前を持つ門が他に3つありました。すなわちこの清雪門を含めればかつての熱田神宮の境内には4つもの門が存在したことになり、これら4つの門を総称して「神宮四門」とも呼称していたようです。

かつて熱田神宮境内に存在した門

  • 海上門(かつての正門)
  • 春敲門(しゅんこもん)(かつての東門)
  • 鎮皇門(ちんこうもん)(かつての西門)

このうち鎮皇門は1600年(慶長5年)に加藤清正が造営した門であり、1928年(昭和3年)4月4日に国宝指定を受けています。

海上門は1571年(元亀2年)に織田信長公が造営した門であり、1920年(大正9年)4月15日に国宝指定を受けました。

しかし残念ながらこれら3つの門はすべて、太平洋戦争の空襲により、完膚なきまでに灰燼に帰しています。

すなわちこの清雪門は熱田神宮に現存する門としては唯一の門ということになり、最古の歴史を有する門ということになります。

造営当初は「本宮の北門」もしくは「別宮の東門」とも呼ばれた熱田神宮の正門とも言えるべき門です。

現在では完全に閉じられており、熱田神宮の神職や巫女ですら通行できない門として存在していることから「不開門(あかずのもん)」と呼ばれるようになっています。

ちなみにこの門がいつ頃、閉じられたのはは不明とされていますが、数百年は経っているとのことです。


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昭和38年の解体修理の際、墨書が見つかる!

1963年(昭和38年)6月にこの清雪門は解体修理が執り行われていますが、この修理の際、屋根の桁受け(けたうけ)の皿斗(さらと)から『貞享三年寅六月十七日 遠州浜松 浅原庄右衛門』との墨書が発見されています。

墨書とは建造物を造営する際に用材に建築年月日や自身の名前を墨で書き記すことです。

この墨書の記述が事実であるならば、この門は1686年(貞享3年/江戸時代前期)6月17日に、浜松の大工・浅原庄右衛門の手によって修理されたことになります。

不吉の門とも呼ばれた恐ろしい門でもある

この清雪門にまつわるちょっとしたエピソードが残されています。

これは天智天皇の御代である668年(奈良時代)のお話です。

当時、熱田神宮に朝鮮半島・新羅(しらぎ)の僧が来訪した際、この清雪門から侵入し、神剣・草薙の太刀を盗み出したそうです。

しかし結局、新羅に帰る際に船が嵐にあって遭難し、神剣は無事に戻されることなります。

それ以来、神剣が二度と盗み出されることがないように(もしくは再び皇居へ還ることのないようにとも)清雪門はほぼ永久的に閉じられたままとなりました。

そのため、清雪門は「開かずの門」と呼ばれるようになり、開けると不吉なことが起きると云われています。

しかし、この一件以降、閉じられたとするのであれば1300年以上は閉じられたままだということになります。

歴史からすると1000年という時へ経ているので重要文化財や国宝指定を受けても申し分のない門ですが、残念ながら昭和38年に大規模な修理が行われ、現在見られるのはこのときの姿です。

熱田神宮・清雪門の場所

東門をくぐってすぐ右の参道を入ると、清雪門(せいせつもん)が見えてきます。

位置的には末社楠御前社の北東になります。

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