熱田神宮・南新宮社

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熱田神宮・南新宮社

熱田神宮・南新宮社

創建年

  • 不明
  • 推定:1000年頃/平安時代中期
再建年

  • 1686年(貞享3年)
  • 1922年(平成4年)※屋根葺き替え、丹塗り替え
建築様式(造り)

  • 切妻造
  • 平入
  • 社殿丹塗り(朱塗り)
屋根の造り

  • 茅葺き
御祭神

  • 素戔嗚尊
社格

  • 熱田神宮・摂社
祭事

  • 6月5日(南宮社祭)

熱田神宮南新宮社の読み方

熱田神宮の境内には、読みにくい漢字の社殿や御祭神などがお祭りされていますが、南新宮社は「みなみしんぐうしゃ」と読みます。

この上の写真をご覧いただければ分かりますが、この南新宮社は熱田神宮の境内にありながら、他の社殿群とは一線を画し、社殿に丹塗りが施され、色あざやかな朱色の御社殿となっています。

熱田神宮・南新宮社の御祭神「素戔嗚尊」

熱田神宮・南新宮社の御祭神は「素戔嗚尊」で、読み方は「すさのおのみこと」と読みます。

素戔嗚尊は、「建速須佐之男命(たてはやすさのおのみこと)」とも読み、日本中に数多く点在する神社でも、祭神としてお祀りされていることが多い神様です。

ちなみに、素戔嗚尊の「スサ」とは、「荒れスサぶ」との意味合いがあります。

つまり、台風(暴風)などを司る神様とも言われており、他に疫病退散の神様とも呼ばれています。

素戔嗚尊は、京都・八坂神社の主祭神として祀られていることで有名です。

八坂神社で例年、夏に開催される「京都・祇園祭」は、須佐之男命(牛頭天王)を巡幸させて、洛中の疫病退散や邪気消除・無病息災を願って行われます。


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熱田神宮・南新宮社の歴史・由来

一条天皇の時代(1000年頃/平安時代中期)に、熱田では疫病が流行したそうです。

その際、多数の死者が発生し、疫神を祭って祈りを捧げたところ、スッキリと疫病がおさまったので、毎年同じ日にお祭りを開催するようになりました。

これが今日に見られる「南新宮社」と南新宮社の例祭「南新宮社祭」の起こりとなります。

1469年から1486年(文明年間/室町時代)には、20メートルを超える「山車」が数台出て、周囲の町中でも曳かれ、迫力のある光景が見られました。

山車は熱田社(熱田神宮の旧名)周辺の各町内から曳き回されて、まずはこの南新宮社へ向けて渡御します。

南新宮社の社殿前に到着すると、4拍子(笛、大鼓、小鼓、太鼓)を用いて謡を興じ、南新宮社から現在の東門へ向かい東門奥にかつて存在した「下馬橋」の手前で取り壊される・・といった風変わりな催しだったようです。

ただ、一説によれば、本能寺の変にて熱田社(熱田神宮)最大のパトロンであった織田信長が討たれたのが、ちょうど天王祭の最中であったようで、今まさに下馬橋を渡ろうとした直前に一報がもたらされて中止されたとのことです。

すなわちこれが山車を下馬橋の手前で壊す理由にもなっているとのことです。

しかし、明治時代以降は、近代化によって電線が多数出現し、電線にブツかるという理由で山車が繰り出されることもなくなりました。

したがって、現在では、南新宮社の神事えある「南新宮社祭」のみが毎年6月5日に執り行われるようになっています。が行われています。

この神社についての記述は少なく、1686年(貞享3年/江戸時代前期)に再建されと記録されており、直近では1922年(平成4年)に屋根の葺き替えと並行して、社殿の色が塗り替えられています。

「熱田天王祭(熱田まつり)」と「南新宮社」

元来、熱田神宮の6月5日と言えば、天皇の勅使が下向されて、境内社であるこの南新宮社で「天王祭」と称される祭典が催されておりました。

天王祭では、熱田近辺の町や村で「笹提灯(ささじょうちん)」と呼称される1本の笹に20個ほどの提灯を並べるといった情緒がありました。

そして天王祭が終わりを迎えると、町や村から祭りで使用した笹提灯が、この南新宮社の前に集められたそうです。

集められた笹提灯がその後、どうなったかと言うと・・、驚くことになんと!熱田神宮の神官やその一族が集い、笹提灯を解体して「団扇(うちわ)」を作ってお金に変えていたそうです。

そのお金で社殿の修繕や自分たちの着る装束や備品を買っていたとのことです。

私たちの知りようがない暗い歴史もあったと言うことですね。ウフ

なお、この時に神官さんたちが、せっせとコシらえた団扇は、後に「熱田の宮団扇」と呼称され熱田神宮参拝の縁起物として一躍、有名になっています。

現在では、資本主義の波の飲まれて、宮団扇を見かける機会がほとんどなくなりましたが、熱田神宮にまつわる場所や団扇に関連した老舗店などへ行けば、現代でも見かけることができます。

ところで・・「熱田の天王祭」って現代でもある??

上述で、熱田の天王祭に関してのことを述べましたが、実は天王祭と言うのは明治時代に廃止されています。

しかし、その後、熱田に住む方々の掛け声によって、新たに「熱田まつり(尚武祭)」として、同様に6月5日の例祭として復興されています。

熱田まつりの日程・時間

日程
  • 例年:6月5日
時間
  • 10:00~:勅使が下向され神事開始
  • 19:40~20:30頃:花火の打ち上げ開始
  • 17:30~20: 30:東西南の門の「まきわら献灯」【見どころ】

熱田神宮・南新宮社の建築様式(造り)

熱田神宮・南新宮社は、奥ゆかしいイメージな神舎が多い熱田神宮の中で、建物が唯一、「丹塗り(朱塗り)」になっているので参拝者の目を引きます。

通常、御祭神が「須佐之男命(素戔嗚尊)」のような大神を祀る場合、千木と鰹木を備えた社を造営するのが定説です。

しかし、南新宮社には千木と鰹木がありません。

このあたりから察しても、神仏習合や尾張地方独自の文化が存在していた、事実を物語る社殿の造りとなります。

南新宮社の場所

南新宮社は、国道一号線側にある熱田神宮の正門(南門)をクグり、右手方向の北側へと伸びる旧参道をしばらく歩くと、右側に見えてきます。

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