熱田神宮・別宮八剣宮

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熱田神宮・別宮八剣宮

別宮八剣宮

創建年

  • 708年(和銅元年)
再建年

  • 1291年(正応4年)
  • 1575年(天正3年)
  • 1599年(慶長4年)
  • 1686年(貞享3年)
  • 1963年(昭和38年)
建築様式(造り)

  • 切妻造り
  • 平入
    ※神明造
屋根の造り

  • 銅葺
鰹木の数

  • 4本
千木の形

  • 内削ぎ
御祭神

  • 熱田大神
社格

  • 熱田神宮・別宮

熱田神宮・別宮八剣宮の読み方

熱田神宮の境内には、読みにくい名前の御祭神や社殿がありますが、別宮八剣宮は「はっけんぐう」「やつるぎのみや」と読みます。

また、「別宮」以外にも「下之宮(しものみや)」や「外宮(げくう)」とも呼称します。

熱田神宮・別宮八剣宮の「名前の由来」

八剣宮とは、一見すると「八本の剣」と読むことができ、本宮にお祀りされている神剣と意味深な繋がりを彷彿させますが、実際は「八本の剣」ではなく「八」は「弥栄」の「弥」と言う意味合いがあります。

「弥」とは、「弥栄(いやさか)」の「弥」と言うことで「ますますの繁栄」を意味します。

また、別宮とは本宮でお祀りされている草薙の御剣に宿りし、熱田大神の御霊を分けられたお社のことで、八剣宮には熱田神宮本宮と同じ神様が祀られています。


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熱田神宮・別宮八剣宮の「歴史」

別宮八剣宮は708年(和銅元年)に、元明天皇の命により作られた神剣を祀るために建てられました。

祭祀に関しても、本宮で執り行われる祭典や神事の大部分が、別宮でも同じように行われております。

特に武士の信仰の対象となってきた歴史があり、織田信長、徳川家康、徳川綱吉らが、社殿の修造や建て替えをしたと伝えられています。

有名どころでは、1575年(天正3年)5月13日、織田信長は武田勝頼との命運を分ける「長篠の合戦(ながしのかっせん)」に赴く際に、中央からこの熱田神宮へ立ち寄り、戦勝祈願を兼ね、熱田の名工であり自身の懐刀の1人とも云われた「岡部又右衛門(おかべ またうえもん)」を総監督に任じて、熱田神宮の社殿全般の改修・造営を行ってます。

また、1599年(慶長4年)、今度は徳川家康が浅野長政に命じて本殿・拝殿・回廊などを改修しています。

しかし近世にさしかかり、三種の神器をお祀りした社殿であることが、ようやく公然と認められ、神宮(伊勢)とほぼ同列の社格へと格上げされています。

これをを背景とし、1963年(昭和38年)に境内の社殿ほぼすべてと境外の社殿の一部が「銅葺屋根」「神明造り」の社殿へと造り替えられています。

熱田神宮・別宮八剣宮の御祭神「熱田大神」

熱田大神は「あつたのおおかみ」と呼称し、熱田神宮本宮の御祭神と同じ神様です。

すなわち熱田大神とは、三種の神器の1つである「草薙の御剣(草薙神剣)」に宿りし「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」のことだとされています。

天照大御神は天孫降臨の際、弟の須佐之男命(スサノオノミコト)から献上された「天叢雲の御剣/あめのむらくものみつるぎ)」を、配下であり甥の「瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)」に預けています。

以降、天叢雲の御剣は、表舞台に出ることはなく「三種の神器」として宮中(皇居)で安置されることになります。

しかしその後、様々な経緯があり、皇居から外部へ持ち出さることとなり、最終的に「日本武尊(倭建命/やまとたけるのみこと)」の手に渡り、以降はこの熱田神宮において鎮まることになります。

熱田神宮の「本当の御祭神」とは?

熱田神宮の御祭神である「熱田大神」は謎多き神様として広く認知されています。

それもそのハズ、歴史上に「熱田大神」にまつわる由来・伝記など、ほとんどと言って良いほど記録に残っていないからです。

一説には、「饒速日(ニギハヤヒ)」とも目(もく)されておりますが、定かではありません。

しかし、熱田神宮の古来の社殿の造りやその歴史を鑑みるに、元来の御祭神は「尾張氏の祖先」であり、分かりやすく言うところの草薙の太刀に宿りし「日本武尊の御霊」を奉安している説が有力であると考えられます。

尾張氏(おわりし・おわりうじ)は、もともとは天照大御神の甥である「瓊瓊杵尊」を祖とし、その子孫が「尾張国造(おわりのくにのみやつこ・おわりこくぞう)」を名乗り、代々、熱田神宮の神官(大宮司)を歴任し「草薙の神剣」を守護するお役目を担っています。

日本武尊と尾張氏のつながりとは、尾張国造の祖先とも云われる「乎止与命(おとよのみこと)」の娘の「宮簀媛(みやずひめ)」を武尊は嫁にもらっています。

この時に尾張国造家の組織に与(くみ)し、宮簀媛の兄である「建稲種命(たけいなだねのみこと」を副将軍として自らの配下とし、実質上、尾張国造家の当主に着任しています。

この後に愛刀の草薙の太刀(草薙神剣)を帯刀せずに、嫁ハン(宮簀媛)に預けて近江(滋賀県)へ遠征に赴いて毒をもらい、伊勢国・能褒野(のぼの)の地で命を散らすことになります。

その後、武尊の悲報を耳にした嫁の宮簀媛は嘆き悲しみながらも、武尊の形見とも言える草薙の御剣を祀り、現在の氷上姉子神社(愛知県名古屋市緑区大高町字火上山)が建つ地に熱田神宮を創建するに至っています。

そしてここまでで分かることは、天照大御神の御霊が草薙の太刀にもお宿りしていると言う説は、とても受け入れがたい説であると言うことです。

つまり、実のところは尾張氏が政治的な力を増大させる目的で「天照大御神」の御名を担ぎ出し、熱田神宮の社格を神宮(伊勢)と同格に引き上げる必要性があったからであるとも考えられています。

熱田神宮・別宮八剣宮の「建築様式(造り)」

熱田神宮・別宮八剣宮は、伊勢神宮や熱田神宮本宮と同じ「神明造(しんめいづくり)」の建築様式です。

以下のような特徴があります。

高床式の造り

神明造は古代の「高床式倉庫」を発展させたものとされています。

社殿に上がるには階段を上る必要があります。

屋根の造り

本を真ん中で2つに分けて、箱に覆い被せたような「切妻造りの屋根」となっており、屋根の垂れ下がる方向に入口がある「平入り」の造りとなっています。

神明造りの建物の屋根は、通常は「茅葺(かやぶき)」ですが、熱田神宮では「銅葺(どうぶき/材質:銅)」が基本となっています。

熱田神宮が「銅葺き」である理由とは、神宮のように「遷宮(せんぐう)=新築にする」が無いに等しいからです。

その理由とは「耐久度が必要になる」からです。

他にも、神宮と社殿の造りを全く同じにするのは「あまりにも恐れ多い」との理由があるものと思われます。

また、神社建築の特徴である「千木(ちぎ)」「鰹木(かつおぎ)」が屋根の上に備え付けてられており、千木は「屋根の上部左右にある角のようなもの」で、鰹木は「屋根の上に乗っている小さなパーツ」です。

ちなみに鰹木は、「鰹節(かつおぶし)」に形が似ていることに由来した名前であると言われています。

柱の造り

土台となるものを敷かず、地面に直接建てた「掘立柱」です。

神明造りでは「掘立柱」が基本の造りとなります。

熱田神宮・別宮八剣宮の場所

別宮八剣宮は、熱田神宮正門の西側にあります。

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