熱田神宮・二十五丁橋

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熱田神宮・二十五丁橋

熱田神宮・二十五丁橋

造営年(架橋年)

不明

造営者

不明

熱田神宮・二十五丁橋の読み方

熱田神宮の境内には、難しい漢字の表記の御祭神や社殿がありますが、「二十五丁橋」は「にじゅうごちょうばし」と読みます。

「熱田神宮・二十五丁橋」の名前の由来

二十五丁橋は境内の南神池に架かる中央が盛り上がった形状の「太鼓橋」で、この橋には「板石」と称される板状の石が25枚並べられていることが、橋の名前の由来になっています。

その昔、この橋を境にして南側を「御所の前」や「御所の内」と呼んでいたそうです。

「御所」と付ける由来とは、鎌倉時代、この橋の南側に源頼朝の仮住まいがあったと云われており、名古屋の中でも「最古の石橋」とも云われています。

「熱田神宮・二十五丁橋」の歴史

橋の中央付近が高く、弓状にきれいに反っている姿は、とても優雅で美しいとも評判です。名古屋では最古の歴史を有する石橋と云われます。

元々は、熱田神宮の周囲をめぐらせた堀に架けられていた橋梁ですが、昭和11年に実施された境内拡張工事の一環で、解体されています。

現在みることのできる二十五丁橋の姿は1955年(昭和30年)3月末日、現在地に復元されたときの姿です。

歌詞や絵画にも頻繁に登場したほど有名な石橋

江戸時代末から明治時代の初めにかけて刊行された尾張の国における地誌である「尾張名所図会(おわりめいしょずえ)」に記されていたり、明治時代中期に流行した名古屋地方のお座敷歌「名古屋甚句(なごやじんく)」の中でも歌われています。

西行法師が登場する名古屋甚句は、二十五丁橋に西行法師が腰をかけ、東西南北を見渡して、

こんなに”涼しくて快適な場所”を誰が”熱田”と名付けたのか?

と、言うような内容の歌であり、地名を上手くモジったとても面白い歌として広く知られています。

名古屋甚句の歌詞

ア~ 宮の熱田の二十五丁橋でエー

ア~西行法師が腰をかけ東西南北見渡してこれほど涼しいこの宮を

たれが熱田とヨーホホ ア~ 名をつけたエー

ア~ 尾張名古屋はありゃ芸どころエー

ア~名古屋山三の昔より名優名手は数あれど
花のお江戸で名をあげし初代中村勘三郎

尾上梅幸は立女形 市川中車に沢村訥子 千両役者は宗十郎

地役者ながらも東西にその人ありと知られたる

中山喜楽は芸の人 荻野検校は平家琵琶 豊竹呂昇は義太夫で 踊りは西川鯉三郎

名古屋甚句は甚鍵と岡本美代治が名をとどむ かくいうわたしも民謡に

ただ一筋にうちこんで唄い続けておりまする

皆々さまには及ばねど精塊かたむけつとめます よろしゅうごひいきヨーホホ

ア~頼みまするエー

トコドッコイ ドッコイショ

「熱田神宮・二十五丁橋」の場所

南門の鳥居をくぐり、表参道を北へ歩くとちょうど佐久間燈籠の対面、向かって左手に位置しています。

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