熱田神宮・龍神社

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熱田神宮・龍神社

熱田神宮・龍神社

創建年

  • 不明
再建年

  • 1955年(昭和30年)
建築様式(造り)

  • 切妻造
  • 平入
  • 掘立柱
    ※神明造り
材質

  • ヒノキ
屋根の造り

  • 銅板葺
千木の形

  • 内削ぎ
鰹木の数

  • 6本
御祭神

  • 吉備武彦命
  • 大伴武日命
社格

  • 熱田神宮・摂社

熱田神宮・龍神社の読み方

龍神社は「りゅうじんしゃ」と読みます。




熱田神宮・龍神社の御祭神「吉備武彦命」「大伴武日命」

熱田神宮・龍神社は「吉備武彦命(きびたけひこのみこと)」と「大伴武日命(おおともたけひのみこと)」の2つの祭神を奉斎している社です。

吉備氏と大伴氏とは?

吉備武彦は、日本書紀において古来の英雄・日本武尊の東国征討に従ったと記される人物です。

日本武尊の指示で「越の国(こしのくに)」に向かい、情報を収集し、情勢を見極め、つかんだ情報を美濃で待つ日本武尊のもとへ伝えまする。

※注釈※「越の国」とは=福井県北部から山形県南部の広大な地域のこと。

また、日本武尊が病に倒れると彼の遺言を聞き、時の天皇である「景行天皇(けいこうてんのう)」に伝えたとも。

大伴武日は日本書紀において、大伴連の子孫で吉備武彦と同じく日本武尊の指示により、東国征討に従い、蝦夷を制圧したと記されてい‥‥‥申す。ホゲェっ

龍神社に「吉備武彦命」「大伴武日命」が祀られている理由

この2柱とも日本武尊に随従し、武尊と祖国のために働くなど偉大な功績を残した神々でゴザる。

そんな2柱の功績を称え、日本武尊とゆかりの深い熱田神宮内に祀られたとのこと。社殿の両脇には2柱神の御名が記された石碑が建てられてい‥‥‥まする。(フェイント)

龍神社の社殿はシンプルぷるぷるプリキュア!トロピカル~ジュっ!‥‥‥てなほどシンプルな造りの社殿であり、木々に囲まれた中に佇んでい‥‥‥申す。テギャっ

龍神社の建築様式(造り)

一説には鰹木(かつおぎ)の数が偶数であれば「女神」、奇数であれば「男神」を奉斎するという俗説がある。

この説に基づけば当神社は鰹木が6本と偶数であることや、千木の形状が内削ぎであることから女神を奉斎する社を示していることになる。

鰹木に関しては平安時代に大社8本、中社6本、小社4本という取り決めがあったようだが、現在はその定めが消え失せている。それがもとで上記のような俗説が広まったのか。

なお、現在、鰹木の数は伊勢神宮内宮が10本、島根県出雲大社は3本、奈良春日大社は2本となっている。

熱田神宮・龍神社の場所(地図)

場所と本殿脇の授与所奥にある神楽殿のちょうど東奥に鎮座しています。

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