熱田神宮・御田神社
創建年
- 不明
再建年
- 1893年(明治26年・移築)
- 1955年(昭和30年)
建築様式(造り)
- 切妻造
- 平入
- 掘立柱
※神明造
屋根の造り
- 銅葺
材質
- ヒノキ
千木の形
- 内削ぎ
鰹木の数
- 6本
御祭神
- 大年神
神事
- 6月18日(午前10時)
社格
- 熱田神宮・摂社
熱田神宮・御田神社の読み方
御田神社は「みたじんじゃ」と読みます。
御田神社の別名
御田神社は、江戸時代までは「宝田社」「御田ノ御前」などと呼ばれていたようです。
御田神社の御祭神「大年神」
熱田神宮境内の本殿右手にお社を構え、五穀豊穣の神様である「大年神(おおとしかみ)」が祀られています。
大年神は須佐之男命の子神であり、弟神に宇迦之御魂神がいます。
大年神の「年」という字には、穀物の「穂」がみのり、大きく成長するという意味があり申す。
古くから主として農業を生業としてきた日本人にとっては、豊作をもたらすこの大年神はとても大切に崇められていたのです。キャキャキャっ
年神迎え
大年神は正月に訪れるとされる「年神様」のことで、各家庭では大晦日の夜に年越し蕎麦を供え、翌、明けた正月元旦には「おせち料理」を神棚に供える風習がありまする。
これを「年神迎え」と言い、現代ではあまり見られなくなっていますが「年棚(としだな)」と呼称される年神様を祀るための神棚を設け、ここに「鏡餅」や「お神酒」を供えて翌年の豊作を年神様に祈願します。
熱田神宮・御田神社の歴史
熱田神宮は1893年(明治26年)に三種の神器を奉安した社であることから、伊勢神宮に次ぐ社格に格上げされてい‥‥‥申す。ディャハっ
その際、境外の1部の社殿を残してすべての社殿が従来の「尾張造り」から、「神明造り」の社殿へと造り替えが実施されてい‥‥‥また、この展開か。ちょぃ休憩。オホ
また、境内の社殿の配置も若干、変更されており、御田神社に関しては現在の場所へと移建されてい‥‥‥まする。(フェイント)
御田神社の例祭
最大の神事「御田植祭」とは?
毎年6月18日には御田神社の神前にて御田植祭が斎行されまする。
神前には玉苗(たまなえ)が供えられ、田歌に合わせて「早乙女」と呼ばれる巫女が、五穀豊穣を願って優雅に舞を奉奏し‥‥‥申す。アヒィっ
早乙女の「緋色の袴」と「タスキ」を身にまとい「芙蓉の花かんざし」を頭に飾った、優美ないで立ちに思わず目を奪われます♥。..もぅ!そんなに激しく踊られると恋に落ちちゃぅんだから💘
「玉苗」とは?
玉苗とは別名で「早苗」とも言い、稲の芽が10cmほど成長した「稲」のこと。
稲が玉苗にまで生長を遂げると、今度は田んぼに植え付けられる田植えが開始され申す。
お供えされた玉苗は、神前から下ろした後、氷上姉子神社にある斎田にて田植えされることになりまする。
往時は現代のように農法や機材が充実しておらず、天候不順によって、いともたやすく凶作に陥り、いったん飢饉が起きると、たちまちのうちに大勢の人々が飢えて生き絶えた。
天災は神の起こすものと信じられていた時代、五穀豊穣は神へのご加護の賜物であったとされていたことが、このような神事を通じてよく理解できる。
新嘗祭
榊の枝を両手に持った神職が独特の所作をする「韓神舞(からかみのまい)」が奉奏される。
祭典の前には「ホ-ホ-」と唱えながら、供物を土用殿の屋根に投げ込んみ、烏に供物を食べさせる「烏喰(おとぐい)の儀」が執行される。
往古は飛来した鳥が供物を食べなければ、祭典が始まらなかったとも云われる。
新嘗祭の開催日時
10月17日(月)/午後2:00より
御田神社のご利益
- 五穀豊穣の神
熱田神宮・御田神社の場所(地図)
本宮を向かって見て右脇の神楽殿の奥に位置します。
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