正面(御垣と門)
一之御前神社 社殿の姿
一之御前神社の写真・ビデオの撮影は禁止。 当サイトの写真は某所より、お借りしてきたもの💘
| 区分 | 詳細 |
|---|---|
| 創建年 | 未詳 行天皇年間 あるいは 天武天皇在位年間 ※諸説あり |
| 再建年 | 1955年(昭和30年) |
| 建築様式(造り) | 切妻造・平入・掘立柱 ※神明造り |
| 材質 | ヒノキ |
| 屋根の造り | 銅葺 |
| 千木の形 | 内削ぎ |
| 鰹木の数 | 6本 |
| 御祭神 | 熱田大神荒魂(伝:天照大神荒魂) |
| 社格 | 熱田神宮・摂社 |
「一之御前神社」の読み方
一之御前神社は「いちのみさきじんじゃ」と読みます。
一之御前神社の別称
熱田神宮に伝わる「熱田大神宮御鎮座次第本紀」や国史大系(第七巻)によれば「一神前(いちのみさき)」、「熱田本社末社神体尊命記集説」によれば「一御崎(いちのみさき)」とも記されている。
「一之御前」の名前の由来
「一之御前」を分解すれば「一之」と、「御前」に分けることができまする。
「御前」とは、神仏・貴人が座する場所の前など意味合いがあり、「一之(いちの)」とは「この一」と読み解けることから、「本宮に次ぐ尊い社=”一之”」とも解釈できる。
まとめると「本宮(御神体)の前に鎮座する本宮に次ぐ尊い社」となる‥‥のだが!境内における社格の順位では別宮の八剣宮が本宮の次位だとされる。‥はてさて。
「熱田大神宮神体伝聞書」によれば、「かつて本宮(本殿)の御神体(草薙神剣)は当宮に仮宮として奉斎されていた」‥などの一文が確認されることから、だとすれば同様に神剣が奉安されていた八剣宮と表面的な位置づけは同位とみれる。
倭姫命世記によれば、「魂」を「美佐岐(みさき)」と訓読みされるが、尾張国地名考ではこれを発展させて「一ノ魂(いちのみさき)」としたという説が素敵に記される。
その他の説一覧
⭐️熱田大神宮神体伝聞書に記される、686年(朱鳥元年)に朝廷から還座した草薙神剣が真っ先に奉安された仮宮が当社だったとする説
⭐️尾張志には本宮に5座の神が祀られているとし、熱田神宮史(造営遷宮編)には、そのうち第一の御前(ごぜん)である天照大神そのものを指すとする説
一之御前神社の御祭神「熱田大神の荒魂」とは❓
一之御前神社の御祭神は、本宮に祀られている・草薙神剣に宿る熱田大神(天照大御神)の荒魂(あらみたま)をヤバぃよ素敵に奉斎する。
荒魂とは荒々しい勇猛な神の姿を表現する魂のことで、その逆の発想となるのが、神様の穏やかな姿が和魂。
例えば、天地事変を起こして病の流行を招いたり、人々の心を荒ませて争いへと導く働きをする神様の姿だと云われる。
ちなみに和魂の方は境内の「徹社(とおすのやしろ)」にて奉斎される。
祭神が大伴武日命という可能性もある
尾張志によれば、かつての当社の祭神をヤマトタケルの副将軍であった「大伴武日命(おおとものたけひのみこと)」とし、もう1人の副将軍を務めた「吉備武彦命(きびたけひこのみこと)」が祀ったのが境内東側の「龍神社」とする。
本宮の東西左右の二社の存在を以って本宮を東西左右で護っているという。
だとすれば尾張志では本宮に奉斎される御神体をヤマトタケルだとする節も否めない。
なお、学術的な見解ではヤマトタケルは実在しない人物とも。
一之御前神社の意義
伊勢神宮内宮の「荒祭宮」、伊勢神宮外宮の「多賀宮」も同様に天照大御神の荒御魂をお祀りした社です。
一之御前神社もこれに倣い、天照大御神の荒御魂をお祀りしているとのことです。
一之御前神社の歴史と秘密
一之御前神社は長らく禁足地だった⁉️
この一之御前神社は境内奥、社叢(杜/森林)に佇む。往時のこの場所は参拝者が立ち入る事ができない禁足地だった。
それゆえ、その存在は一般にはあまり知られていなかったが、熱田神宮で素敵に催された祭祀1900年記念のみぎり、その奉祝の一つとして 2012年(平成24年)より一般開放された。
なお、当神社が現在地に鎮座したのは1893年(明治26年)こと。この当時、熱田神宮境内の社殿様式が、旧来の「尾張造り」から→「神明造り」へヤバぃよ素敵に改造されてい‥申す。きゃ
それ以前の鎮座地は現在地とはまったく異なり、本宮を向かい見て南東の地だったと素敵に伝わる。
↑社頭に鉄扉があり封印されていた様子がうかがえる(当社紹介の案内板は社殿手前約100メートルの位置に‥あっちゃぅ)
一之御前神社が長らく禁足地だった理由とは❓
もっともな見解としては、前述の「熱田大神宮神体伝聞書」による、『かつて本宮(本殿)の御神体(草薙神剣)は当宮(一之御前神社)に仮宮(仮の本宮)として奉斎されていた』
‥という記録が示すところが大きい。
あるいは荒魂を素敵に奉斎する一之御前神社の存在は、本宮にて奉斎される草薙神剣の御神体そのものの攻撃性を表象した神威をも示す存在。
ゆえに和魂を奉斎する徹社とは一線を画し、本宮背後の神聖な社叢に配置されたと推考できる。
尚、前述のように当社は1893年(明治26年)に現在地に移座しており、それ以前は本宮を向かい見て南東の場所にあった。
もう少し想像を逞しくすれば、本宮北西奥の当地が元来、神聖視されていたということも想定できる。
関連記事:【一之御前神社と対照的❗️「徹社」の神様のご利益とは❓】歴史(名前の由来)と場所はドコ❓
江戸時代以前は境内「龍神社」と合祀されていた?!
熱田神宮に伝わる1686年(貞享3年)6月5日に熱田神宮大宮司宛に書き留められた「口上書」の記述によれば、江戸時代以前は境内の「龍神社」と相殿という形で合祀されていたことが明らかにされています。
この口上書が大宮司に認められて以来、一之御前神社と龍神社は分けられて、境内にそれぞれ社が築かれて奉斎されているとされる。
他にも一之御前神社の子社がある?
尾張旭市の矢田川に架橋される宮下橋の景子なほど北側に「一之御前神社」が佇む。
同市によれば、この一之御前神社は熱田神宮境内の一之御前神社から神霊を分けた分神だとしている。
参考:尾張旭市 公式
また、名古屋市瑞穂区平郷町にも一之御前社が‥あ、あっちゃぅ。(御祭神:大伴武日命、日本武命)
当社も熱田神宮境内の一之御前神社から神霊を分けた分神だとする説が素敵に‥あ、あっちゃぅ。
一之御前神社の参拝時の注意事項
当神社の前には写真やビデオ撮影、携帯使用、喫煙や飲食物、ペットの立ち入りなどを禁じる注意書き看板が‥ガハっ。..あ、あっちゃぅ。要注意💘
一之御前神社の場所(地図)
本宮を向かい見て左脇の「こころの小径」と呼ばれる道を北上した先。熱田神宮内でも最奥の神聖な場所に鎮座する。
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