熱田神宮から南へ徒歩約10分進んだ先には、かつて東海道の宮宿であった熱田宿の「七里の渡し」がありますが、その付近を流れる堀川には「白鳥庭園」と呼称する庭園があります。
以下でこの白鳥庭園の名前の由来について述べています。
白鳥古墳と日本武尊
白鳥庭園が属する白鳥公園の北東側の橋を渡ったところに、白鳥古墳(しろとりこふん・しらとりこふん)と呼ばれる古墳があります。
以前は隣にある法持寺が管理し、その後1876年(明治9年)からは熱田神宮、戦後は名古屋市が管理しています。
法持寺とは、824年〜834年(天長年間)に大師・空海が熱田神宮に参籠した際に日本武尊の御霊を弔うために、延命地蔵菩薩を手彫りし、小さな祠を築いて祀ったのが起源とされる曹洞宗のお寺です。ただし、創建当初は法持寺と称し、真言宗の寺院でした。
法持寺・白鳥古墳と白鳥庭園の位置関係
白鳥古墳は、もともと全長70mの前方後円墳でしたが、現在は原型を留めていません。
この古墳は、天火明命(あめのほあかりのみこと)を祖神とする尾張氏(おわりうじ)という士族の首長の墓と考えられていますが、熱田神宮社殿によると、別の伝説が残っています。
それは、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が熊褒野に葬られた後、白鳥となって妃のいる熱田の地に降り立ったというものです。
熱田神宮に日本武尊が叔母に当たる倭姫命(ヤマトヒメノミコト)から授かったとされる草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)が祀られているということもあり、熱田神宮と日本武尊のつながりは深いのです。
白鳥古墳では、今でも毎年5月8日に、熱田神宮による「御陵墓祭」が行われています。
そういうわけで、この辺りを白鳥と呼び、公園、庭園、古墳、橋などの名前にもなっているのです。
ちなみに、「日本武尊が死の前後に白鳥となって舞い降りた地」という伝説の残る場所は関西・四国を中心に複数あり、その多くには神社が建立されています。
白鳥とはハクチョウではなく、サギの一種ではないかと言われています。
白鳥庭園の見どころや歴史について
白鳥庭園の見どころや歴史については下記ページをご参照ください。