熱田神宮・龍影閣
創建年
- 1878年(明治11年)
建築様式(造り)
- 木造2階建
- 寄棟造
屋根の造り
- 瓦葺
面積
- 295㎡
施工者
- 鈴木幸右衛門(棟梁)
登録有形文化財指定年月日
- 2001年4月24日
愛知県指定文化財指定年月日
- 2001年4月24日
熱田神宮・龍影閣の読み方
熱田神宮・龍影閣は「りょうえいかく」と読みます。
熱田神宮・龍影閣の歴史と名前の由来
熱田神宮・龍影閣はもともとは、明治11年9月に愛知県名古屋市中区大須にある「総見寺の境内」に「名古屋博物館品評所(なごやはくぶつかんひんぴょうじょ)」として建造されました。
このときの博覧会は明治11年9月〜11月までの50日間の日程で開催されましたが、会期中の10月、明治天皇が当博覧会に行幸されることが決定し、そのときに2階部分を明治天皇の「便殿(びんでん/=ご休憩のこと)」として改造しています。
博覧会の終了後、品評所は明治天皇が訪れた由緒ある場所として残されることが決定し、1932年(昭和7年)に愛知県名古屋市西区の「庄内公園」に移築されます。
不幸か幸いか、太平洋戦争後に荒廃したことが復興の起点となった
太平洋戦争が始まると管理が行き届かず、龍影閣は荒廃し、この惨状を見かねた渡辺製菓の社長「野原新太郎」氏が昭和21年に愛知県から買い取る形で譲り受け、元のきれいな状態に戻し、管理維持を行っていました。
ちなみに渡辺製菓とは愛知県名古屋市にあった菓子メーカーですが、現在はクラシエホールディングス株式会社(旧称;鐘紡株式会社)が吸収合併し、組織の1つとなっています。
以来、野原氏の別邸として使用されてきた、明治維新から100年目を迎えた1968年(昭和43年)に内部に所蔵された明治維新に関連する資料と共に熱田神宮に献納され、新たに「龍影閣」と言う名前が付されて今日に至ります。
現在では、お茶会・茶道教室として一般利用される他、文化事業などの会場としても活用されています。
熱田神宮・龍影閣の内部の様子と建築様式(造り)
龍影閣は木造2階建の寄棟造で棟梁(大工)を務めたのは、もと尾張藩の大工である鈴木幸右衛門。
初期博覧会が行われた当時(明治時代)の様子を伝える希少かつ、貴重な建造物であることから、2001年4月24日に登録有形文化財に指定登録されています。
熱田神宮が建つ愛知県には、この「龍影閣」を含めて現在までで454件の指定登録があります。
内部構造
1階
以下、画像提供:愛知県
1階中央に18畳と16畳半の座敷部屋があります。背面には納戸を備え、階段を配する。
半間の縁を周囲にまわし、身舎は京間の尺度で造営された和室。
玄関、応接室、背面控え室もあるが、これらは後補とされる。
2階
2階は10畳の座敷部屋と1段上がった場所に8畳の座所を配し、この8畳の上座こそ、明治天皇が博覧会の折、御座し、御休憩された場所とされる。
背面には配膳室を配備。
これら各部屋の周囲に廊下を附し、寄棟造りの大屋根が覆う造りとなっています。
龍影閣へ一般参拝者が入れるのか?
龍影閣へは残念ながら一般参拝者は入れません。龍影閣を利用できるのはお茶席を利用する方や結婚式で利用する方のみです。
平常時は出入口に柵閉じられており、それ以上、中に入れません。
熱田神宮・龍影閣の場所(地図)
西門北側、勾玉池と信長塀のちょうど間に位置します。明治11年に明治天皇が愛知県に行幸された際に休憩所として用いられた建物です。